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教会誌「こころ」巻頭言
Kokoro
2018年 5月 6日(日曜日)

人がどう思うかは、人の責任

教会誌「こころ」2018年5月号より

 

主任司祭 パウロ三木 稲川圭三

 

風薫る五月、マリアさまの月となりました。マリアさまは、「主があなたと共におられる」(ルカ1・28)という天使からの御告げを、「お言葉どおり、この身に成りますように」と受け取ったお方です。この五月、マリアさまと一緒に、「主が共におられる」という神秘を、自分にも人にも認めて生きていけるように、助けていただきながら歩んでいきたいと思います。

さて、巻頭言ではわたくしは「自分の知っていること」を話したいという思いがあります。自分の知っていることというと自分の経験となり、毎回、話が勢い過去のことになってしまっております。過去のことばかりで恐縮ですが、今回もお付き合いお願いいたします。

もう25年も前のことになりますが、わたくしが在学していた当時の「東京カトリック神学院」では、毎年春と秋に神学生たちが復生病院(静岡県御殿場市)を訪問する習慣になっていました。この病院はパリ外国宣教会のテストヴィド神父さんが、ハンセン病患者のために1889年に開設したカトリックの医療施設です。期せずしてこの年は麻布教会創立の年でもあります。昨年のバスハイクでも訪れた地ですので、麻布教会にとっても、ご縁のある場所と言えるかもしれません。訪問の目的は、主に入所者の方々の慰問でした。らい予防法(1953年-1996年廃止)の制定によって、ハンセン病に罹患した患者は伝染のおそれがあるとして、強制隔離されました。一度発症すると患者は生涯施設から出ることはできなかったのです。そこに神学生たちは春と秋の二回、1泊2日という日程で訪問していました。午後に到着すると神学生の先輩と一緒に、個室の病室を訪問してお話しを伺ったりしま した。そして夜になると懇親会が開かれました。入所者の方の内の元気な方に集会室に集まっていただき、神学生が何か出し物をして、そのあと一緒にお茶を飲むというものでした。これが訪問のメインプログラムでした。たしか2回目の訪問の時だったと思いますが、入所者の方から「はっきりと教えられたこと」があります。今も強烈にわたしの中に焼きついている教えなので、今日はそのことを話させていただきたいと思います。

初日の晩の懇親会のために、集会室まで出てくることが出来た方は20名前後でしたでしょうか。あとは皆病室から動くことができない方ばかりでした。ただ、懇親会の様子はすべ てスピーカーで個室に通じていて、病状が悪化して失明しておられる方々も多いが、耳はよく聞こえているので、神学生が用意する出し物は「音が出るもの」が良いのだと、先輩 たちに言われていました。それで参加するメンバーによって、合唱をしたり、落語をしたり、漫才のようなことをしたりと「音の出る」余興を準備していました。その年、わたしは先輩たちから「稲川くん、ギター弾けるだろ。ギター弾けよ」と言われていました。わたしは「絶対に嫌です」と断っていました。「いいだろ。弾けよ」と言われても、「絶対に弾きません」と言っていました。しかし、それでも弾けと言われたので、しぶしぶ引き受けることにしました。どうしてわたしがそんなに弾きたくなかったのかと言うと、自分の中に何も無いのがわかっていたからです。指は回って音は出ましたが、それだけで、自分から何も出て行かないのがわかっていたのです。そこにいる人たちは、発病と共に施設に隔離され、一生をそこで過ごさなくてはならない人たちです。閉ざされた空間と運命の中で、特別に心が研ぎ澄まされた方々と言えると思います。そんな中でギターを弾く、ということは「絶対に嫌」でした。「自分の中に何も無い」ということが知られるのが恐かったのだと思います。それでも引き受けたからにはと、授業の合間にギターを練習しました。入所者の方は年配の方が殆どだったので、「影を慕いて」でしたか、古賀政男さんのギター曲を2曲ばかり弾くことにいたしました。

懇親会の当日は集会室に机が一列に並べられ、机の向こう側に入所者の方々、こちら側に神学生が向かい合わせに並んで座りました。そして、向かい合わせた机の真ん中に、それぞれのお茶とお饅頭が用意されていました。余興の時間になり、わたしの出番が来て、2曲ばかり演奏して、皆さんから一応拍手をいただき、自分の席に戻ってきた時、向かいに座っていた70年配の男性がわたしに「なあ、あんた。あんたの演奏を聞いた感想を聞かせてやろうか」と言われたのです。わたしはその瞬間(ああ、これは自分が言われたくないことを言われるのだ!)と直感的に分かりました。それで、「あ、はい。お願いします」と答えました。するとその方はこう言われました。「あのねえ、あんたの自信のないギターの音な んて、か細くてよく聞こえなかったよ。あんたの演奏をどう聞くかは、人の責任。あんたの責任じゃない。でも、どう弾くかはあんたの責任。もっと自信をもって弾け」その瞬間、わたしは心の中で、ありったけの大声で叫んでいました。(だから、弾きたくないって言ったんだ。そんなこと分かってた。それに自分で弾きたくて弾いたわけじゃない。それにしても、そこまで言うことないだろう。こんなことを言うなんて、わたしに恨みでもあるのだろうか。もう金輪際、絶対にギターなんか弾かない)

神学校に帰ってからこのことについてブツブツ言っていましたら、先輩が1枚のカードをくれました。それには両面に詩が書かれており、「外山富士雄」という名が印されていました。それはわたしにギターの感想を言ってくれた、まさにその人でした。

「ですの譜(うた)」
善いと判断したらやってみるんです。
生きている証明にです。
失敗したら失敗を踏み台にするんです。
次のチャンスを見つけるんです。
幸せなら誰かが不幸を忍耐しているんです。
ありがたいことです。
不幸ならその分だけ誰かが幸せなんです。
喜んであげるんです。
神は人間の親なんです。
子供に父母があるようにです。
幼子イエズスは神に対する人間の姿です。
手放しの信頼です。
人生は生きることなんです。
復活の栄えをいただくためにです。

「両手の譜」
右手は父ちゃん、左手は母ちゃん
-両手合わせて僕になるのや
父ちゃんの手はごつい
僕の頭つかんで動きはらへん
焼きいもの皮むく母ちゃんの手は短い指やった
小学五年の春 山の療養所に入る朝
母ちゃんがそっと握らせてくれはった
五十銭玉はぬくう濡れとった
そして-四十年
父ちゃんも母ちゃんも死んでしもた
五十銭ものうなったけど
母ちゃんの手のぬくもりはおぼえとる
父ちゃんは右の手 母ちゃんは左の手
-両手合わせて僕生きてるねん

この詩をいただいて、何かが分かった気がしました。「人が演奏をどう聞くのかは、人の責任。それをどう弾くのかは自分の責任」「人が自分をどう思うかは、人の責任。でも人を どう思うかは、自分の責任」・・・自分は、自分の責任ではないところを憂いて、自分の責任を果たしていない・・・。外山さんは、この根本的な的外れになっている神学生に、ガーンと一撃を食らわせてくださったのだと分かりました。「ですの譜」は「はいの譜」、そして「『わたしはある』・『わたしである』の譜」(出エジプト3・14、ヨハネ18・5)です。いただいた自分のいのちを、「はい」と生きるいのちの譜です。あの時の言葉は、自分の守備範囲外である、人の責任を心配して、自分の責任を果たさない愚か者の脱臼を、「エイッ」とはめ直してくださる。愛の荒療治なのだと分かりました。

司祭になって21年。今も自分の中に何も無いことは変わりません。しかし何も無い中に永遠の神がおられることが分かりました。そしてそのお方と共に、人間の中に神のいのちを見ることが、自分の責任であると分かりました。

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