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教会誌「こころ」巻頭言
Kokoro
2018年 10月 7日(日曜日)

「洗礼」と「堅信」二つの聖霊の注ぎ

教会誌「こころ」2018年10月号より

 

主任司祭 パウロ三木 稲川圭三

 

港・品川宣教協力体では、毎年合同堅信式を行っております。今年は10月21日(日)目黒教会の10時ミサの中で、菊地大司教の主司式で行われます。堅信式に向けて、堅信準備講座が行われています。成人の講座は土曜日19時から、中高生の講座は日曜日13時から、みこころ会館で行っています。成人の講座は、基本的に麻布の信者さんが対象ですが、希望者があれば、目黒、高輪の方の受講もお受けしています。今年は8名の方と一緒に準備しています。中高生については、毎年、麻布・目黒・高輪、すべての受堅者が一緒に集って勉強します。わたくしが中高生会の担当である関係で、毎年わたくしが教えております。今年は10名が一緒に準備しております。講座の回数はどちらも4回ですが、中高生の場合は4回目が「土・日の合宿」の形になっており、そこで赦しの秘跡を受けたり、一緒に祈ったり、食事をしたり、交流を深めたりします。今年は高輪教会で行われます。

さて、講座の内容なのですが、わたくしは当日の堅信式の典礼の式次第を、一緒に「繰り返し読む」ようにしています。当日、受堅者の皆さんが、一つひとつの言葉の意味を深く受け取りながら、秘跡に与るようになっていただきたいからです。堅信の秘跡は洗礼と同じく、一生に一回だけです。その一生に一回の出会いの機会が、出来るだけ豊かなものになってほしいと思います。秘跡の中心部分の流れは次の通り。まず司教が受堅者の名前「堅信名+姓名」を呼びます。次にその頭に手を置き(按手し)、同時に親指につけた聖香油で、額に十字のしるしをしながら、「父のたまものである聖霊のしるしを受けなさい」と言います。すると受堅者が「アーメン」と答えます。次に司教が「主の平和」と言い、受堅者が「主の平和」と答えます。これが秘跡の中心部分です。この間、代父母は受堅者の後に立ち、肩に手を置いて受堅者を支え、励まします。堅信とは司教の言葉にもあるように、「聖霊を受けること」です。

しかしよく考えてみると、洗礼を受けた者は、洗礼によって既に聖霊を受けています。このことを単純に考えるならば、「聖霊には、洗礼の聖霊と堅信の聖霊の二種類あるのだろうか?」あるいは、「洗礼の聖霊では、足りないのだろうか?」というような疑問が起こると思います。このこと、すなわち洗礼で受ける聖霊と、堅信で受ける聖霊の関係については、実はカトリック教会の秘跡論の中でも、明確には結論付けられていません。ただはっきりと言われていることは、洗礼と堅信は切り離すことのできない、密接な関連を持った秘跡なのだということです。しかしながら、準備講座を進める者としては、洗礼と堅信の聖霊について、やはりはっきりとしたポイントを持って示し、準備したいという思いがあります。それで、いつもイエスさまのご生涯からヒントをいただいて教えるようにしています。イエスさまは、いつも聖霊に満たされているお方であったと言えます。しかしそのご生涯において、顕著な仕方で「二度」聖霊の注ぎを受けておられます。その二度が、わたしたちの洗礼と堅信の聖霊なのだと考えてよいと思います。そう教えています。

皆さま、イエスさまのご生涯にあった「二度の聖霊の注ぎ」・・・、いつのことであるかお分かりになられるでしょうか。二つの内一つは、割とすぐに答えが出ますが、もう一つは少し分かりにくいのです。いかがですか? そうですね。一つは「洗礼」の時です。マルコの福音書にこう書いてあります。そのころ、イエスはガリラヤのナザレから来てヨルダン川でヨハネから洗礼を受けられた。水の中から上がるとすぐ、天が裂けて、“霊”が鳩のように御自分に降って来るのを、御覧になった。すると、「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」という声が、天から聞こえた。(マルコ1・9-11)

もう一つは、「洗礼」よりも前の出来事です。少し難しいですが、お分かりになりますでしょうか・・・。そうですね。イエスさまの「誕生の御告げ」の箇所です。ルカの福音書に次のように書いてあります。すると、天使は言った。「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」マリアは天使に言った。「どうして、そのようなことがありえましょうか。わたしは男の人を知りませんのに。」天使は答えた。「聖霊があなたに降り、いと高き方の力があなたを包む。だから、生まれる子は聖なる者、神の子と呼ばれる。」(ルカ1・30-35) これがイエスさまのご生涯にあった「二つの聖霊の注ぎ」です。

その意味と働きを考えてみると、一つ目は、「神の子としての誕生」です。同じようにわたしたちも洗礼の時、一つ目の聖霊の注ぎによって、「神の子としての誕生」という出会いをいただきました。イエスさまの二つ目の聖霊の注ぎは、洗礼の時。わたしたちは一つズレていますが、堅信の秘跡で、二つ目の聖霊の注ぎをいただきます。さて、ここでいただく聖霊の注ぎの意味と働きは、一体何でしょうか・・・。それは、イエスさまが洗礼の後、どのように歩まれたかを見るならば、一目瞭然です。「あなたはわたしの愛する子、わたしの心に適う者」と告げた父の霊は、イエスさまを荒れ野へと送り出します。そしてイエスさまは荒れ野で誘惑を受け、試練を乗り越えてガリラヤに行かれます。そして、人々に「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と、人々によいお知らせを告げる者となっていったのです。二つ目の聖霊の注ぎによって、イエスさまは、人に福音を告げる者となられました。同じようにわたしたちも、堅信によって二つ目の聖霊の注ぎをいただき、「人に福音を告げる者」となっていくのです。「人に福音を告げる」とは、「あなたは神さまに愛された子だ」と告げることです。一つ目の聖霊によって「あなたは神の子だ」と告げられ、二つ目の聖霊によって、人に「あなたは神の子だ」と告げるいのちになっていくということです。

さて、堅信の秘跡の準備をしている皆さんに、一つ目の聖霊についてお尋ねしました。「洗礼を受けるとは、どういうことですか。あるいは皆さんにとって、ご自分が洗礼を受けたとはどういうことですか」とお尋ねしました。考えのまとまった方から、どうぞ順にお話しください、と言ってお聞きしました。中高生の方は、こんな風に言っていました。

・聖霊が注がれた、ということ。
・神を永遠に信じること。
・神の存在を信じ、神のこどもとなり、これからの人生を神と共に生きること。
・神さまからの愛を、受ける前よりも多くいただくこと。
・神さまのことを信じて、神さまと共に生きること。
・神の恵みを多く受けていること
・神を信じて、もっと恵みを受けて、いっそう深く一緒に生きていくこと。
・主イエス・キリストを信じること。
・自分の体と心の中にも、キリストの体とか心とかがあるということ。
・神を信じること。

わたしは自分の考えを、キリストといっしょに生きること、と言いました。同じ質問を成人の方々にもお尋ねしてみました。こんな風に言っておられました。

・今まで勉強してきたことのけじめをつける、方向性をつける。
・今までカトリックの学校に通い、勉強してきた。自分の中ではスタート地点に立ったよう。主人は何代か前からのカトリックの信者の家庭。主人の家の一人になった。教会の方々とのつながり、責任を負ったような気持ちがあります。
・小さい時、神さまの存在があり、大人になって神さまとずっと疎遠になっていた。目に見えるしるし、公の場でお祝いしていただき、幸せ。でも人間のありようと して、的外れもあり、毎日夜お祈りをして、自分の犯した罪をお祈りして、日々イエス・キリストと同じ向きで生きていけるように、回心していくことだと思います。
・洗礼を受ける前は、自分では意識していなかったが、家族と仲間にはよい人間、それ以外には垣根を作っていた。敵対したり、戦ったり、目には目をという人生だった。自分の人生に満足のいくものではなかった。原罪を赦してもらって、今は以前の基準で動いていない。毎日お祈りをして、自分も赦してもらったのでゆるす。人生に根ができた。
・すべてを受け入れ、神のみ前にひれ伏すこと。
・神さまと同じ方向を向いていく自分になっているように感じることが増えた。自分を客観的に見られるようになってきた。息子も幼児洗礼。神さまを信じる姿勢、よい母親であろうという責任感が前よりも強くなったと思う。
・洗礼を受ける前、どういうことか分かっていなかった。洗礼を受けている人だけが立派ではなく、聖霊は信者だけでなく。「根ができた」、という言葉にピンと来た。まだか細い根だが、所属感というか、しるしをつけていただいた。神さまという支点をいただいた。洗礼を受けてすごく感じます。

10月21日のミサの中で、皆さんが受けた洗礼の恵みの上に、更に二つ目の聖霊が注がれます。人のために恵みを用いるようにと、 励ましを受けます。ご一緒にお祈りいたしましょう。

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