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教会誌「こころ」巻頭言
Kokoro
2019年 12月 24日(火曜日)

クリスマスを見つめる

教会誌「こころ」2020年1月号より
主任司祭 ルカ 江部純一

皆さんが持っているクリスマスのイメージは何ですか。緑の牧場、羊や山羊 を追う羊飼いや牧羊犬、鈴の音、輝くイルミネーションとモミの木のツリー、すべてを優しく包むほのぼのとした暖かさ、クリスマスの音楽はパストラル(田園曲)、サンタクロースと贈り物、パーティ、等々。しかしこれらは二千年前にお生まれになったキリスト(救い主)であるイエスの誕生とその生涯とはほど遠いと言わねばなりません。なぜなら、両親は泊まる所がなく、生まれたばかりの赤ちゃんイエスは「飼い葉桶」に寝かされているからです。またマタイ福音書によれば、三人の学者(博士)が訪問した後、ヘロデ大王が子どもたちを皆殺しにしようとした時、一家はエジプトに逃れています。つまりイエスは避難民であったということです。これらのことがどれほど大変なことであるか、クリスマスに教会に設けられている「馬小屋」を見るときに、この出来事をも合わせて思い起こさなければなりません。

イエス生誕の地ベツレヘムに「羊飼いの野」と言われる場所があります。緑の野原に洞窟もある。「生誕教会」の中にはイエスがそこで生まれたといわれている洞窟があり、聖地として祭られています。し かし、この羊飼いの野から遙か向こうを望むと、残念ながらそこには「壁」が造られ、ユダヤ人とパレスチナ人とを分断しています。家の造りも、見ると両者の違いが分かります。「聖地」と、そこに住み 暮らしている人々のことを思うと、イエスが生まれた状況・環境は正に「貧しさ」そのもの。現代社会の弱い立場に置かれた人々、多くの民衆たちの悩みや苦しみ、生きていく上での悲しみや困難そのものを抱えている人たちのことが分かります。イエスとその両親ヨセフとマリアが体験したこれらの困難な状況がわたしたちに訴えていることはとても重いと感じます。

「クリスマスおめでとう」と挨拶を交わします。イエス・キリストの誕生をお祝いするからです。家族や友人の「お誕生日おめでとう」は、愛する人・かけがえのない大切なこの人がこの世に生まれ出た・命をいただいた喜び-その人とこのわたしが出会えた喜び、知り合えたうれしさを共にし、それを分け合うのです。「あなたに出会えて本当にうれしい。」このような思いが込められています。

「クリスマスおめでとう」は、誕生から受難・十字架の死を通して復活されたキリストであるイエスが、何のためにこの世に来られたのかを改めて考えさせるよい機会です。イエスは神と人間との「和解」「ゆるし」のためにおいでになりました。神からいのちをいただき一回限りの人生を歩む人間が互いを受け入れ、認め合い、共生共存するためにこの世に来られたのです。一人ひとりがどれだけ神から愛されているか。一人ひとりの生きる有り様がどれだけ重みを持ったものであるか。人が神の前でいかに弱い、儚い(はかない)、貧しい存在であるか。これらのことを思うときに現代世界の現実をしっかりと見つめる必要があります。紛争、故郷から避難せざるを得ない難民、飢餓状態に置かれている多くの人々、互いを隔てている壁や溝は人が作り出したもの。しかし同時にその壁を取り除くのは、キリストの愛を知った者、一人ひとりの人間でもあります。飼い葉桶に寝かされた、難民となり、人から嘲られ、十字架に付けられたキリストの愛が、互いの考え方や行動の違い、豊かな才能と個性、それらを認め、受け入れることが互いを豊かにさせるのです。今年の主の降誕(クリスマス)にあたって是非このことを見つめてみたいものです。

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