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教会誌「こころ」巻頭言
Kokoro
2019年 8月 4日(日曜日)

人とのつながりを考える

教会誌「こころ」2019年7月号より
主任司祭 ルカ 江部純一

数年前から、「そろそろスマホ(スマートフォン)に換えたら・・」と周囲の人たちから言われ続け、昨年末頃かなりその気になった。しかし、タッチパネル自体があまり好きではないことと、新たに使い方をマスターするのも面倒なので「やはり現状のままでいこう」と考え、現在に至っている。

 

電車内のみならず、歩きながらスマホの画面を見続けている人たちを眺めていると、「この人たちはいったいいつ画面から目を離して生活しているのだろう」と思う。スマホの画面は見るが、電車の人の乗り降りに際してだれも周囲を見ないし、声を掛け合うこともしない。人に関心がないこんな状態でありながら、LINEやフェイスブック、ツイッターなどで連絡を取り合って、それでつながっている、コミュニケーションができていると思っているとしたら大きなまちがいである。自分の考えを発信している、自分のツイッターでつぶやくこと、それがそのまま世界中に広がり、賛同を得られるなどと思っているとしたら、恐ろしいことである。真のコミュニケーションや議論を深めることは人と向き合って初めて可能なことである。

 

児童精神科医である佐々木正美さんの『完 子どもへのまなざし』(福音館書店 2011年)を読んでいて改めて考えさせられたことがいくつもあった。この本の前半では、子どもたち(乳児〜幼児〜青年期)の育児・生育・養育過程や生活環境に大きな影響、変化を与えているのは、家庭や両親、それを取り巻く社会にあるということ。日本社会で起きている様々な問題も、日本人の人間関係が壊れてきていることと無関係ではないということなどが繰り返し指摘されている。その中で次のような件がある。

 

「近年、本来は相手の気持ちを尊重することで成り立っている個人主義の価値観が、いつのころからか相手の気持ちを尊重しないで、自分の生きがいや権利ばかりを主張する、自己中心的な傾向を強めてまいりました。私たち日本人は日々の生活の中で、欲求が満たされないことや自分の意にそわないこと、何か不愉快なことがあると、その理由を自分以外の他者に、教育に、社会に、政治に求める感情をふくらませてきました。そして日本人全体が、自己中心的な人間性になってきたということも、まぎれもない事実です。」「また、自己中心的な生き方というのは、自分の欲求は強く主張し、他者の要求を受け入れる力は弱いのですが、一方で、他者からは受け入れられたいという希望はとても強いのです。自分の生き方を最優先にして、他者との関係をわずらわしく思っているにもかかわらず、他者からあまり歓迎されなかったり、注意や非難をされると、その人たちの傷つき方は非常に大きいのです。」(上掲書p.24)。それに続いて、やすらぎの場である家庭内の人間関係も、家族それぞれが自分の都合ばかり主張するようになり、親子関係も変わってしまったことも指摘されている(同上p.25)。

 

教会は主イエスが教え、行われたことを同じように伝え、行うように努めてきた。一人ひとりを大切にされたイエスは、個性を重んじ、その人がその人として生きていくことができることを示し続けられた。本来のあるいは本当の個人主義というのは、一人ひとりが尊重され、その個性が周りの人たちからも受け入れ受け入れられ、互いの存在を真に認め合うところにある。強い者や声の大きい者、自分の主張や傲慢、欲望が優先されることではなく、自己中心的生き方ではなく、子どもの声、弱い者の声を聴き、その思いを受け止めるために理解するよう努め、寄り添うことができるような社会に変わっていかない限り、イエスの福音はますます遠くなるだけでしかないだろう。

 

今の社会や日常生活は、電子機器を使わずには成り立たない。電子機器は、連絡事項や情報提供に貢献しただろうが、それで人の心の思いを知り、密接な関わりが深められるわけではない。人間関係が壊れ始めている、と言われて久しい。今こそ想像力を働かせ、思いやりをもって人と接し、人との関わりを取り戻すときではないだろうか。人と人との信頼関係を取り戻すことは、取りも直さず主イエスが生きられた歩みをたどろうとするキリスト者の生き方そのものにつながっていく。それを周りに示し伝えていくことは、疲れきって弱っている社会に希望の灯をともすことになる。永遠のいのちへの道はここから始まる。

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