教会誌「こころ」2013年3月号より
主任司祭 パウロ三木 稲川圭三
カトリック麻布教会の教会報「こころ」が創刊500号を迎えました。またこの記念号に向けて、麻布教会に深く関わられた神父様方より、たくさんのご寄稿をいただきましたことを、心から感謝いたします。本当にありがとうございました。
さて、麻布教会の歩みの貴重な記録として、合本・製本された「こころ」の第一巻を手にしますと、創刊号は1969年(昭和44年)12月25日の発行となっております。巻頭言は、ご着任間もない井手雄太郎神父様。「記念される街」というタイトルで書いておられます。「人口僅か三万人程の、小さな街ベトレヘムが、今、全世界の人の心に知られるのは、神の子がお生まれになった街だから」、と書いておられます。1969年というと今から44年前。翌1970年は大阪万国博覧会が開催された年で、その頃を知る者にとっては印象深い年です。わたしは小学校4年生でした。あの頃の日本は高度経済成長の時代で、現在の中国のように大気汚染や河川・海の汚染が著しく、深刻な社会問題となっていました。教会にも大きな動きがあった時期で、1962年から65年にかけて行なわれた、第二バチカン公会議の刷新の波が、ようやく日本にも届きかけたという頃でしょうか。
「こころ」創刊号が出された年の待降節から、麻布教会でも、新しい典礼(ラテン語ミサから、日本語によるミサへ。背面式のミサ〔かつて司祭は信徒に背中を見せる形でミサを捧げた〕から対面式のミサへ)が導入されました。創刊号のページをめくっていきますと、現・建設委員会委員長が、青年会会長として寄稿しておられたり、現・運営委員の方のお一人の、ご結婚の慶びが報じられているのを目にしたりします。次号までページを進めると、前・運営委員長の、小学2年生の時の作文に目がとまりました。 当時の「こころ」紙に寄稿されている方々を見ると、すでに故人となられた方々も多いですが、前述のように今現在、教会の中で活躍しておられる方々のお名前をも散見いたします。そのことを見ると、教会の集いの中で育った人たちが、今の共同体を支える力強い奉仕者となって、確実に世代が交替していっているということを実感いたします。今、小さい子どもたちを連れておられる皆さんも、そしてその子どもたちも、いつの日か頼もしい奉仕者となって、共同体を支える人たちになっていってくれることと思います。
ところで、先に井手神父様の言葉として「人口僅か三万人程の、小さな街ベトレヘムが、今、全世界の人の心に知られるのは、神の子がお生まれになった街だから」と書きました。いつの世も、人間の心が本当に求めて止まないのは「永遠」です。永遠とは、初めもなく終わりもないいのち、だれかによって創られたのでない、創られずに在る、唯一のお方、神のいのちのことです。キリスト・イエスの教えは、その「永遠」が人間一人ひとりの内に在る、ということです。ベトレヘムで、神の子が生まれました。それゆえ皆はベトレヘムを知ることになりました。「神の子」とは人から「神の子だ」と言ってもらうために来た方ではなく、人に「あなたは神の子だ」と言うために来られた方です。人間の中に、神が共にいてくださるという神秘を「見てくれる方」それが神の子なのです。そういうお方が生まれた場所。それはどんなに小さな街でも、全世界の人の心に知られる所となります。ですから、麻布教会というところが、集まった人が皆、互いの内に「神が共におられる」という神秘を見る場所だったら、多くの人の心に知られる所となるでしょう。しかし、もし、そうでないなら・・・、多分、中途半端な所になるだけでしょう。
皆で互いに祈りましょう。誰、彼となく祈りましょう。「主が共におられる」神秘を皆で祝いましょう。
