教会誌「こころ」2013年6月号より
主任司祭 パウロ三木 稲川圭三
前教皇ベネディクト16世が宣言した「信仰年」(昨年10月11月~今年の11月24日迄)の一年も、約半分が過ぎました。これは、第2バチカン公会議開幕50周年、また『カトリック教会のカテキズム』発布20周年を記念して定められたものです。
麻布教会では主日のミサの前に必ず「信仰年の祈り」が唱えられ、その中に「第2バチカン公会議(1962年~65年)」(以後「バチカンⅡ」と表記)という言葉が登場いたします。毎週口にしている言葉ですが、「全く何のことかわからない」という世代の方も多くおられるでしょう。そこでこの場をお借りして、バチカンⅡに触れて、ごく限定された内容ですが、少しのことを話させていただきます。
公会議とは、全世界から司教などの代表者が集まって、教義、典礼、教会法などについて審議する最高会議です。325年に開かれた第1ニケア公会議から数えて、バチカンⅡは第21回目です。バチカンⅡは「全公会議の中で唯一」という、「ある特色」を持っています。その、ある特色とは「正統・異端の審議のために開催されたのではない」ということです。つまりひっくり返して言えば、他のすべての公会議は、正統・異端を決定する審議のために開催されたということです。
ではバチカンⅡは何のために開催されたのか? 一言で言うと「教会が、『教会とは何者か』を省察し、現代社会に奉仕できるものとなっていくために、自己確認するため」だと言えます。それまでの教会は、乱暴な言葉で言えば、教会の中だけに救いを認める「内向き」であったのです。1959年1月25日、時の教皇ヨハネ23世は、聖パウロ大聖堂でミサを捧げた後、17名の枢機卿を前に「公会議を開催する」というメッセージを述べました。3カ月前に就任したばかりのヨハネ23世は、就任時既に76歳という高齢で、「つなぎの教皇」と思われていました。そのため、その発表は「晴天の霹靂」とも言うべき衝撃的な出来事でした。そう発表したヨハネ23世にしても、後に述懐されたところによれば、公会議開催の発想については、「ほとんど思いがけなく、心に浮かんできたこと」だったのだそうです。
その後、準備期間を経て1962年から65年まで、4つの会期に分かれて開催されましたが、ヨハネ23世は、第一会期の後、81歳で帰天され、パウロ6世がその後を継いで公会議を牽引していくことになります。62年10月11日に行なわれた、バチカンⅡ「開会演説」の中で、ヨハネ23世が言った言葉に感銘を受けたと、先日、シェガレ神父さま(当時神学生であった)がおっしゃっていました。それは次の三つのことです。
1. 「現代がただただ悪い方向にしか向かっていない」、という暴力的な悲観主義には絶対に賛成できない。
2. 福音という確固不動の教えが、現代の要求する方法で探求され、説明されなければならない。
3. 教会は、人々を厳しく取り扱うよりは、むしろ慈しみの薬を用いて癒すこと、断罪するよりは、自分の教えの価値を示しながら、現代の要求に応える方が良いと思われる。
ヨハネ23世の宣言から始まり、その精神を引き継いで、4年間をかけて開催されたバチカンⅡのキーワードは「アジョルナメント」すなわち「現代化」。福音という宝は、現代が要求する方法で探求され、説明されなければならないのです。そして、そのための具体的指針が「インカルチュレーション」つまり「文化的受容」。(福音のエッセンスそのものが、人間の文化の真髄に達し、生活そのものを内から福音化していくこと)です。教会の自己理解を端的に表したキーワードは「旅する教会」。つまり、「キリストの死と復活、聖霊の派遣によって、すでに世の終わりはこの世に到来している。しかし旅する教会は、新しい天と地が実現する完成の日まで、いまだ旅を続けている」・・・わたしたちは「すでに」と「いまだ」の間を、すでに救いにあずかった者として、完成に向けて旅する教会なのです。
第二バチカン公会議は、「典礼憲章」「教会憲章」「啓示憲章」「現代世界憲章」という4つの憲章、9つの教令、3つの宣言という実りを生みました。その結果、最も顕著な変化の例を挙げれば、かつては司祭が祭壇上で信徒に背を向ける形で、ラテン語で唱えられていたミサが、対面式になり、また、母国語で行なうことができるようになったことがあります。
また、聖書が読まれるようになったことが挙げられます。おかしな表現に聞こえるかもしれませんが、以前、聖書は、教義を正当化するために引用されるような用い方をされていたことから、現実から離れ、心に響く力を失っていました。そして「解釈が難しく、誤りに陥る可能性があるから」と、信徒が読むことは勧められていなかったのです。バチカンⅡによってもたらされた変化は、数多く、広範囲に及んでいますので、簡単にまとめて表現することはできません。しかしながら、公会議の精神が、どの程度全教会に浸透しているのかというと、多くの人々がそこに疑問符を投げかけています。「憲章」「教令」「宣言」のいずれも、キリストを中心とした深い霊性に根ざしたものでしたが、これも乱暴な言い方ですが、文章が固く、内容が高度で濃密であるので、読みにくく、感動しにくく、多くの人の心に響かなかった、と言うことができると思います。
「信仰年」にあたって、わたしたちはどう生きればよいのでしょうか。わたしは、「共にいてくださるお方」との一致を生きる歩みを、具体的に生きていくようにすることが必要だと思います。そのためには、日常生活の中で、出会う人に「神さまがあなたと共におられます」と祈ることではないかと思っています。
最後に、わたしはよいページを見つけました。インターネットのことなのですが、新教皇フランシスコの言葉を読むことができるページです。「カトリック中央協議会」→「教皇関連」→「フランシスコ」と進めていくと、教皇フランシスコのページに進み、フランシスコの最新のメッセージを読むことができます。この方の言葉は、わたしたちの日常生活をキリストとの一致に向けて導いてくださると感じています。それこそ、バチカンⅡが目指しているものです。わたしはいつも読むようにしています。皆さまにもお勧めいたします。
