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教会誌「こころ」巻頭言
Kokoro
2016年 3月 27日(日曜日)

ご復活おめでとうございます

教会誌「こころ」2016年4月号より

 

主任司祭 パウロ三木 稲川圭三

 

主の復活、おめでとうございます。俗に「復活祭の早い年は、春が来るのが早い。復活祭の遅い年は、春が来るのも遅い」と言われます。今年は比較的復活祭の早い年になりますが、春の到来はどうでしょうか、早かったと言えるのでしょうか。自分のことを宣伝するわけではないのですが、今年の復活祭はたまたま自分の誕生日にあたる特別な年でしたので、復活祭をもってまた一つ年を取らせていただきました。

さて、年齢が少しずつ増えてくるにしたがって、少しずつものを単純に考えるようになってきたように思います。昔は「復活とは何ですか」と尋ねられたら、複雑な説明になったかもしれないけれど、今は少しずつ単純になってきました。「復活とは何か」と聞かれたら、今は、わたしは「イエスさまが一緒にいてくださること」と答えます。わたしは、自分の中にイエスさまが一緒の向きで生きてくださっているのだと思っています。だから、自分もそのイエスさまの中に、一緒の向きで生きさせていただくようにしたいと願っています。自分と一緒の向きで生きてくださるイエスさまの中で、自分も一緒の向きで生きさせていただこうとするなら、そのことを「復活にあずかる」と言うのだと思います。イエスさまの「復活にあずかる」なら、イエスさまと一緒の向きで、一緒の眼差しの中に入って生きることになります。

イエスさまの眼差しは、どんな眼差しなのでしょうか。イエスさまの眼差しとは、どんな人の中にも、神さまが一緒にいてくださるという「神の真実」を見い出す眼差しだと思います。イエスさまは天のおん父のことを、「父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる」(マタイ5・45)と、おっしゃっています。でも、太陽や雨は分かりやすい一つのたとえで、太陽や雨だけのことではなく、「父である神」は、正しい者にも正しくない者にも、「共にいてくださる」のだとおっしゃっているのだと思います。だからイエスさまは、悪人にも善人にも、正しい者にも正しくない者にも、神さまが一緒にいてくださることを見て生きられたのだと思います。それがイエスさまの眼差しでした。

イエスさまの復活にあずかるなら、わたしたちもイエスさまと一緒の向きで、一緒の眼差しの中に入って、生きることになります。つまり、悪人にも善人にも、正しい人にも正しくない人にも「神さまが共におられる」という真実を見て生きる者になるということです。もちろんわたしたちの肉眼の目が、「神さまが共におられる」という真実を「見る」ようになるわけではありません。けれども、共にいてくださるイエスさまの眼差しによって、イエスさまの眼差しと共に、イエスさまの眼差しの内に、「天の父が、その人と共におられること」を認めさせていただくのだと思います。

ご復活おめでとうございます。主イエスは復活されました。

イエスさま、つまり「人間の中に神さまが共におられることを認める眼差し」は、死によっても決して滅びませんでした。このお方が、今日、わたしたちと一緒にいてくださいます。そして、わたしたちがそのお方の「復活にあずかる」なら、わたしたちもそのお方の眼差しに結ばれます。この世において、その眼差しに結ばれて生きるなら、死んでも決して滅びることのないいのちに、既につながれていることになります。多くの方々が、このお方の眼差しに結ばれて眠りにつきました。その方々もイエスさまと一緒の向きで生きるいのちとして、今、わたしたちと一緒にいてくださいます。二年前に亡くなった父も、恩師の下山神父さんも、霊名をいただいている聖パウロ三木も、イエスさまの眼差しに結ばれて、一緒の向きで生きてくださっています。そのことに心から感謝して、今年のご復活をお祝いしたいと思います。

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