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教会誌「こころ」巻頭言
Kokoro
2016年 5月 1日(日曜日)

いつくしみの特別聖年のための祈り

教会誌「こころ」2016年5月号より

 

主任司祭 パウロ三木 稲川圭三

 

今年は「いつくしみの特別聖年」です。教皇フランシスコの「いつくしみの特別聖年のための祈り」は、ちょっと長いですが、聖書の救いの出来事が、生き生きと紡がれた、とてもすばらしい祈りだと思います。まず、初めの段落を紹介いたします。

主イエス・キリスト、あなたは、わたしたちが天の御父のようにいつくしみ深いものとなるよう教え、あなたを見る者は御父を見る、と仰せになりました。み顔を示してくださればわたしたちは救われます。あなたの愛に満ちたまなざしによって、ザアカイとマタイは富への執着から解き放たれ、姦通の女とマグダラのマリアは、この世のものだけに幸せを求めることから解放されました。ペトロはあなたを裏切った後に涙を流し、悔い改めた盗人には楽園が約束されました。あなたはサマリアの女に、「もしあなたが神のたまものを知っていたなら」と語られました。このことばを、わたしたち一人ひとりに向けられたことばとして聞かせてください。   

イエスさまのお顔は、目に見えない神さまの目に見えるみ顔です。ですからわたしたちは、イエスさまのみ顔を通して、天の父のみ顔を知ります。イエスさまのまなざしは、目に見えない神さまの目にみえるまなざしです。ですからわたしたちは、イエスさまのまなざしを通して、天の父のまなざしを知ります。「イエスさまの愛に満ちたまなざし」によって、ザアカイも、マタイも、マグダラのマリアも、ペトロも、盗人も救われたのです。イエスさまのまなざしとは、人間の中に、永遠のいのちの神さまが共にいてくださることを、見てくれるまなざしだと思います。人間はつい、過ちや欠点、足りない所に目を向けてしまいます。自分に対しても、また他人に対してもそうしてしまいます。けれどもイエスさまのまなざしは、そんなものを通り越して、人間の存在の最も奥深くには、神のいのちがあることを見てくださいます。このまなざしで見ていただいた人は救われます。なぜなら、自分が犯した数々の罪にも関わらず、神さまが共にいてくださるという「神の赦し」の真実に出会わせていただくからです。救われた者は、今度は、見ていただいたのと同じまなざしで人を見るようになります。つまり相手に罪があっても、神さまが共にいてくださるという真実を見るようになるということです。なぜなら見てくださったイエスさまのまなざしと、一緒の向きで生きるようになるからです。

次に二段落目です。

あなたは、目に見えない御父の、目に見えるみ顔です。何よりもゆるしといつくしみによって、自らの力を示される神のみ顔です。教会がこの世において、復活し栄光にみちておられる主のみ顔となりますように。あなたは、ご自分に仕える者が弱さを身にまとい、無知と過ちの闇の中を歩む人々を、心から思いやることができるようお望みになりました。これら仕える者に出会うすべての人が、神から必要とされ、愛され、ゆるされていると感じることができますように。

神さまの「力」とは、ゆるしといつくしみなのです。わたしたちに罪や過ちがあっても、わたしたちと共にいてくださる、ゆるしといつくしみこそが、神さまの力なのです。イエスさまの顔の光とまなざしが、もしも、「人間の中の悪を暴き出す、サーチライトのような光」だったら、われわれは一人として神さまの前に立つことはできません。しかしそうではなく、イエスさまの顔の光とまなざしとは、「悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせ」、(マタイ5・45)「恩を知らない者にも悪人にも情け深く」(ルカ6・35)、「神が共にいてくださる」真実を見出してくださるまなざしなのです。このまなざしによって、ザアカイも、マグダラのマリアも、ペトロもみんな救われたのです。だから、教会も、この顔とまなざしになるようにと、願われているのです。

最後に、祈りの三段落目と結びをご紹介します。

あなたの霊を送り、わたしたち一人ひとりに油を注ぎ、聖なるものとしてください。神のいつくしみの聖なる年が、主の恵みに満ちた一年となり、あなたの教会が新たな熱意をもって、貧しい人によい知らせをもたらし、捕らわれ、抑圧されている人に解放を、目の見えない人に視力の回復を告げることができますように。この祈りを、いつくしみの母であるマリアの取り次ぎによって、御父と聖霊とともに世々に生き、治めておられるあなたにおささげいたします。アーメン。

イエス・キリストの霊である聖霊を注がれる時、イエス・キリストご自身がわたしたち一人ひとりの内に立ち上がってくださいます。わたしたち教会が、新たな熱意をもって、貧しい人によい知らせをもたらしますように。「よい知らせ」とは、すべての人間の中に、神のいのちがあるという真実です。そのことをわたしたちが新しい熱意をもって告げ知らせることができますように。

一つ、具体的な呼びかけをさせていただきたいと思います。この一年、特に、「様々な理由で教会に来ることができない皆さん」のためにお祈りいたしましょう。「教会に来るように」と祈るのではなく、まず、そのお一人お一人の内におられる、「共におられる神さまの真実」に目を向けて祈るようにお勧め、お願いいたします。

共同体としては、主日ミサの共同祈願の中で祈ることができると思います。しかし、一番具体的・効果的なのは、「聖体拝領後の沈黙の時間」に、わたしたち一人ひとりが、自分の周りの教会に来ることができない人、一人ひとりを思い起こすことではないかと思いました。それは、すでに洗礼を受けている家族、友人、知人であるかもしれません。それは、教会に来たいのに来られない人であるかもしれません。また、今は来たいと思っていない人であるかもしれません。あるいは、まったく教会に関わりがない方で、「あの方こそ、ぜひ教会に来られたらよいのに・・・」、と思うような方であるかもしれません。そういう方、一人ひとりを思い起こし、その一人ひとりのうちに、神さまが共におられるという真実に目を向け、祈る。このことをぜひ、拝領の後の短い沈黙の時間の中で祈っていただきたいのです。この祈りによって、共同体が内側から変えられ、福音を宣教する教会へと変えられていきますように、「いつくしみの特別聖年」にあたって、祈りたいと思います。
 

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