教会誌「こころ」2015年8月号より
主任司祭 パウロ三木 稲川圭三
戦後70年を迎える節目の年にあたり、今年5月に、日本カトリック司教団からメッセージが発表されました。『平和を実現する人は幸い – 今こそ武力によらない平和を』というタイトルで、改めて平和への決意が表明されました。聖堂の入口にメッセージを納めた小冊子を積んでお配りしましたから、既に手に取ってお読みになっておられる方が多いでしょう。
司教団は、これまでにも、1995年に『平和への決意 – 戦後50年にあたって』を、また戦後60年にあたる2005年には『非暴力による平和への道 – 今こそ預言者としての役割を』と言うメッセージを発表してきました。今回カトリック中央協議会から発行された小冊子には、戦後50年、60年のメッセージが併せ掲載されていますので、三つのメッセージを一度に読むことができます。三つのメッセージを読み比べてみて、個人的な感想ですが、今回のものがいちばんすっきりと心に届いたという印象を持ちました。わたしはメッセージの内容について比較し、精査するような能力を持っていませんが、それぞれのメッセージが呼びかけている「相手」「対象」が、少しずつ変わっていっていることに気づき、はっとさせられました。戦後50年のメッセージは、「信徒、司祭、修道者の皆さん」・・・へ、と呼びかけられていました。戦後60年のメッセージは、「日本の教会の兄弟姉妹とすべての善意ある人々へ」・・・と呼びかけられていました。そして今回、戦後70年のメッセージは、「キリストにおける兄弟姉妹、ならびに平和を願うすべての方々へ」・・・と呼びかけられています。感覚的な物言いの域を出ませんが、呼びかけられている「相手」「対象」が、少しずつ広がっているように感じました。また呼びかけ方も少しずつ肩の力が抜けていっている、と感じました。メッセージの結びも、自然で気負ったところがなく、謙虚さを感じました。以下が今回のメッセージの結びです。
「わたしたち日本のカトリック教会は小さな存在ですが、諸教派のキリスト者とともに、諸宗教の信仰者とともに、さらに全世界の平和を願うすべての人とともに、平和を実現するために働き続けることを改めて決意します」
イエスさまは、マタイ福音書の山上の説教の冒頭の「幸い」(真福八端と呼ばれる)の箇所の中で、「平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる。」(マタイ5・9)と言われます。わたしたちはこの言葉を読む時、「神の子と呼ばれる」という言葉について、「ああ、平和のために活動する人々、あの人たちは『神の子』だなあ」と、「人々から」そう呼ばれる・・・、という意味に受け取るかもしれません。でも、そうではありません。「神の子」と呼ぶのは神さまです。つまり、平和を実現する人々を、神さまが、「お前はわたしの子だ」と呼んでくださるということです。度々申し上げていることですが、聖書の世界で「平和」という時、それは「神さまが共にいてくださる」ことです。そしてそれは、一人の例外もなく、すべての人にとっての神の真実です。その真実を認め、出会い、その真実を人にも告げ、出会わせるように働く者が、平和を実現する者です。「神さまがあなたと共におられる」と、その真実を告げ、祈ることが、平和を実現するということの根本であり、第一歩です。
「キリストにおける兄弟姉妹」とは、すべての人です。キリストは、すべての人の内に神のいのちを見出しておられたからです。だからキリストは、いつもおん父に「お前は、わたしの子」と呼ばれていたのだと思います。わたしたちも、平和を実現するために働くよう、求められています。わたしはまず、自分の身の回りの人に祈るところから始めなくてはならないと思います。「キリストにおける兄弟姉妹」とは、すべての人です。神さまが共におられることを、知らされたわたしたちは、それを人に告げる責任を負っています。だから、今日出会うすべての人に「神さまがあなたと共におられます」と祈るところから、平和を実現するために働きたいと思います。その時、だれにも知られなくても、天のおん父が「お前は、わたしの子だ」と呼びかけてくださいます
