教会誌「こころ」2013年7月号より
主任司祭 パウロ三木 稲川圭三
5月24日(金)~26日(日)にかけて伊豆七島の神津島で行なわれた、第44回ジュリア祭に参加してきました。参加方式には、竹芝桟橋から金曜日の夜10時発の大型客船「かめりあ丸」に乗って、目的地の神津島に10時に到着するAコースと、翌土曜日朝8時過ぎに、高速船で神津島に向かい12時過ぎに到着するBコースがあり、選択することができます。わたしは大型船での参加。また今年麻布から参加された8名の方々は、高速船での来島となりました。
今年は、幸田補佐司教も参加くださり、毎年韓国舞踊を披露してくれる東京韓国学校の生徒さんたちを含めて、約150名位の巡礼団となりました。桟橋に降りると、村長を初め村役場の皆さんと、旗を持った宿の皆さんのお出迎えを受けます。島には大きなホテルはないので、巡礼団は幾つもの民宿に分かれての分宿となります。参加者の皆さんは、後発隊と合流して野外ミサを捧げる予定の午後1時30分まで、民宿で昼食をとったり、「ありま展望台」の白亜の十字架の前でお祈りをしたり、また、水着を持って天然温泉に向かったりと、思い思いに時間を過ごされたようです。
5月25日、午後1時30分、ジュリア顕彰碑広場で、幸田司教主司式による第44回ジュリア祭ミサが行なわれました。それは期せずして、1970年に第1回ジュリア祭で、この神津島において初めて公式にミサが捧げられた、5月25日と同日のことでした。少々仰々しい書き方になりましたが、それは、ジュリア祭にとって「ミサを捧げること」が最も大切で、不可欠の要素だからです。ジュリアとジュリア祭の起こりについて、少しお話しいたしましょう。
おたあジュリアは韓国の貴族の生まれと伝えられ、豊臣秀吉の行なった朝鮮半島への侵略出兵のために、わずか三歳で戦災孤児となりました。キリシタン大名であったアウグスチノ小西行長がおたあを連れ帰り、養女として育て、洗礼を授けてジュリアという洗礼名をつけました。後に関ヶ原の戦いで敗将となった小西行長は、切腹を拒んで京都六条河原で打ち首。おたあジュリアは敵方に捕らえられ、徳川家康の侍女となります。理知的で容姿も美しかったジュリアを、家康は特別に気に入っていましたが、側室となることを拒み、彼女はひそかに大奥を抜け出して聖堂に通い、告白や聖体の秘跡を受けていたと言われています。そして1612年に幕府のキリシタン禁教令が出されると、家康自ら棄教を迫りましたが、断固として断り、殉教を決意しました。ジュリアはその年の内に駿府(静岡)から網代へ移され、そこから伊豆大島へ遠島。1カ月後に更に遠い新島へ。そして更に遠方で自然の厳しい神津島に移送されました。ジュリアがこの島から、京都の巡察神父に送った手紙の記録資料が、後にローマのイエズス会記録所などから発見されています。そこには「最も苦しいことはミサにあずかれないこと。また黙想の中でこの島はカルワリオの山であり、いつか主キリストの足もとで生涯を終えるだろうと思いつつ、ミサにあずかっているような想像をしている・・・」そういった内容のことが記されていました。発見された資料から、ジュリアの望みを知った島の人々が、「ジュリアが望み続けたミサを、是非ささげて欲しい」と、当時の教区長、白柳誠一大司教に協力を求め、大司教はその意義ある趣旨に深く賛同し、後援という形で協力参加を確約しました。そして1970年5月25日に、第1回ジュリア祭において、三百数十年の時の流れを経て、ジュリアの望みが実を結ぶこととなりました。以来、教会もなく、信者もほとんどおられない神津島で、毎年ミサが行なわれ続け、ことしがその44回目になります。
ジュリアという女性は、ほんとうに波瀾に満ちた生涯を生きた方です。幼い時に両親を失い、両親を殺した側の人間の一人である、小西行長によって育てられ、その養父である小西行長を殺した家康によって雇われ、寵愛を受けながらも棄教を拒否し、遠い神津島に流され、母国ではない土地で生涯を閉じることになります。そういう数奇な運命の人生の中でジュリアは、洗礼という恵みを通していただいた出会いに結ばれて生きるという、一筋の小道を見出したのでしょう。自分の本当の父は天の父。本当に自分のいのちを支えるお方は、主である神。そして、そのお方こそ「わたしのいのちの主である」ことをはっきりと証しして生きた「信仰の人」だったのだと思います。
自分を養ってくださった小西行長にも、ジュリアは感謝しておられたと思います。また、敗将の娘にもかかわらず、取り立てて重用してくださった家康にも感謝しておられたことと思います。しかし、それらすべてを超えて、人間のいのちを支えるのは主なる神。その方を棄てなさいと言われた時、たとえ相手が徳川家康という時の人、「天下の主」であったとしても、ジュリアは首を縦に振ることはありませんでした。
巡礼三日目の朝、それぞれの民宿の人たちに送られて、手に手に荷物を持った参加者の皆さんがミサ会場に集まってきました。朝8時から「三位一体の主日」のミサが行なわれるのは、「まっちゃーれセンター」と呼ばれる「前浜客船待合所」のホールです。祭壇の机や椅子並べなどは、すでに島の役場の方々がしてくださっています。「こんな公共施設のホールの、切符売り場の真ん前で、ミサ(宗教行事)を行なっていいのだろうか・・・」と、毎年思います。でも、「ジュリアという方が、今もこの島に生きて、恵みを島の人々にとりなしておられる」ことを思う時、ミサの祈りは、島の人々すべての幸いを願う祝福として広がっていきます。
「温かく、素朴な島の人たちの上に、祝福がありますように。そして、わたしたちにもジュリアのように、単純に主に信頼して生きる歩みをお与えください。困難な道を歩む人の上に、希望の光をお与えください。アーメン」
