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教会誌「こころ」巻頭言
Kokoro
2015年 3月 1日(日曜日)

福音を宣教する教会になりましょう

教会誌「こころ」2015年3月号より

 

主任司祭 パウロ三木 稲川圭三

 

新年のご挨拶の中で、また1月末に行われた信徒総会の中で、わたしは皆さんに「福音を宣教する教会になっていきましょう」と呼びかけました。わたしは2012年の4月に麻布教会に着任しましたので、来月で丸三年になります。着任の当初から思っていることは一緒ですが、今年は初めてそのことを「福音を宣教する教会になりましょう」という文言でお伝えいたしました。

「『福音宣教』と言われても、難しくてどのようにしてよいのかわからない」・・・と、よく言われますが、わたしはそんなに複雑なことではないと考えています。「福音」とは「良いお知らせ」の意味です。神さまからの良いお知らせを福音と言います。では、「神さまからの良いお知らせ」とは一体何でしょうか? いろいろな言い方があるかもしれませんが、わたしは「神さまがすべての人と共におられること」だと理解しています。三年間、毎週、また毎日のミサの説教の中で、同じことしか申し上げないので、皆さん、耳にタコが出来たかもしれませんが、神さまがすべての人と共にいてくださるという真実、これこそが神さまからの良いお知らせ、「福音」であると思います。ですから、「福音宣教」とは「神さまがあなたと共におられる」という、神さまからの良いお知らせを告げ知らせる、ということです。このことをすれば良いのです。この「すれば良い」・・・を「する」、すなわち実行に移していくようにするために、今日は少しご一緒に考えてみたいのです。

教皇フランシスコは、『福音の喜び』という使徒的勧告を出されました。これは2012年10月に行われた「キリスト教信仰を伝えるための新しい福音宣教」をテーマにして行われたシノドス(世界代表司教会議)の結果を受けて発表されたものです。邦訳は昨年6月に発刊され、多くの人に読まれました。そしてそれは読む者を、熱意と活力に満ちた宣教へと励まし方向づける、教皇フランシスコからの、愛と希望に満ちた具体的提言でした。その中で、新しい福音宣教は、すべての人に呼びかけられていますが、基本的に三つの領域で実行されるとありますので、確認しておきましょう。

まず、第一は「通常の司牧の領域」です。それは、定期的に共同体に参加し、主の日に集まって、み言葉と永遠のいのちのパンで養われる信者の心を燃え立たせることです。この司牧は、信者の成長を目指し、ますますその生活全体をもって神の愛に応えられるように方向づけられます。

第二の領域は、「洗礼を受けながらも洗礼の要求することを実行していない人々」です。教会への帰属感を持っておらず、信仰の慰めも感じていない彼らを、教会は、常に気遣う母親として招きます。彼らが信仰の喜びと福音に生きる願いを取り戻すように努めるのです。

第三はイエス・キリストを知らない人、また拒み続けている人に福音を伝えること。このことこそ、福音宣教の根本であることを忘れてはなりません、とあります。彼らの多くは、ひそかに神を求め、神の顔を慕う気持ちに動かされています。

キリスト者はすべての人に福音を宣べ伝える義務を負っていますが、それは新たな義務を人に課すようなものでなく、だれもが望む宴に招くようなものでなければなりません。・・・これが確認されている三つの領域です。

福音宣教の領域とは、第三だけでなく、第二だけでなく、第一だけでなく、「三つ共に」です。このことを頭において、「神さまがあなたと共におられる」という福音を、どのように宣べ伝えていくのか、すこし具体的に考えてみたいと思います。

第一の領域。教会に集まる、ミサ聖祭に集まるメンバーのことです。ミサの中で、互いに「主の平和」と挨拶をします。聖書で「平和」と言う時、それは「神さまが共におられる真実」のことを指しています。神さまは、すべての人と共におられるのです。そのことをはっきりとお互いの内に認め合うために、わたしたちは毎週ミサに招かれるのです。そしてキリストと一致するために、ご聖体をいただくのです。ご聖体をいただくなら、キリストがわたしたちの内に、わたしたちと一緒の顔と体の向きで生きてくださるのです。だから、わたしたちもそのキリストの顔と体の一緒の向きで生きなくてはならないのです。「一緒の向きで生きる」とは、キリストと一緒に働くということ。それはつまり、キリストが人にそうされたように「神さまがあなたと共におられる」(インマヌエル)と、人に告げ、祈ることです。人の欠点や落ち度を非難する1秒があったら、その1秒を「神さまがあなたと共におられます」と祈る1秒に変えましょう。想像してください。主日の聖堂内に集まる人がことごとく、互いのために「神さまがあなたと共におられます」と祈り会う共同体であるならば・・・。その共同体が人を惹きつけないことがあるでしょうか。いや、必ず人を惹きつけます。

第二の領域です。ご家庭の中に、またはご兄弟の中に、あるいは友人の中に信仰から離れているように見える状態にある方々がいらっしゃるかもしれません。状況はもう少しナイーブです。その方に、どう福音を宣教したらよいでしょうか。わたしはお勧めいたします。「神さまがあなたと共におられます」と倦まずたゆまず、しつこく祈り続けることです。お茶を差し出す時に心の中で、「神さまがあなたと共におられます」と祈る。行ってらっしゃいという背中に「神さまがあなたと共におられます」と祈る。閉じられて開いてくれないドアの向こうに「神さまがあなたと共におられます」と祈る。手紙にさえ返事を返さないその人の上に「神さまがあなたと共におられます。」と祈る。そのようにしつこく祈り続けることをお勧めいたします。そして、その祈りが続けられるなら、ある時、その祈りの時が満ちて、「神さまがあなたと共におられます」という福音を、「音声の言葉」で、または「文字の言葉」で、その人に告げることができる時が来るかもしれません。告げずにはいられない時が来るかもしれません。言葉として告げなくても、「神さまがあなたと共におられます」と絶えず祈り続けることは、「黙っているだけで、何もしないこと」とは、根本的に違います。さあ、今日から福音宣教を開始いたしましょう。

最後に第三の領域です。司祭、修道者、信徒、それぞれ立場によって状況が異なるでしょう。でも、第一、第二領域と一緒で、「神さまがあなたと共におられます」という祈りがまず根本になかったなら、何も始まらないでしょう。もしあなたが、いつも回りの人に向かって、「神さまがあなたと共におられます」と、心の中で祈っている人であるなら、職場のデスクの隅に置かれた一枚の小さな御絵でさえ、宣教の入口となってくれるでしょう。
もしあなたが、毎日通院のために乗る、決まった時刻のバス停で会う人たちのために「神さまがあなたと共におられます」と祈る人であるなら、いつかふとしたはずみから、出会いが始まるかもしれません。向こうからあなたに声をかけてくるかもしれません。もしあなたが、ご家族の中でただ一人のカトリック信者である場合、いつも家族の一人ひとりに「神さまがあなたと共におられます」と祈る人であるならば、家族の皆は、口には出さないかもしれないけれど、「あなたの中に、何かがある」(神さまが共におられる)と気づかないわけには行かないでしょう。

この一年間、福音を宣教する教会を目指して、どんなことができるのか、ご一緒に考えながら進んでいきたいと思います。出来るところから。そして、教皇フランシスコが言うように、「新たな義務を人に課すようなものでなく、だれもが望む宴に招くようなものでなければならない」と思います。まず、主日のミサを、心からお祝いしましょう。主である方からの抱擁の招きに、愛する者の心で素直に答えましょう。

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