教会誌「こころ」2015年4月号より
主任司祭 パウロ三木 稲川圭三
ご復活おめでとうございます。心からお祝いを申し上げます。特にこの復活祭に洗礼を受けられた方々に、お喜びを申し上げます。本当におめでとうございます。復活の主が、あなたと共におられるのです。そして、すべての人と共におられるのです。それ以上に大切なことは何もないと思います。本当におめでとうございます。
このご復活祭を、病床で迎えておられる皆さま、主があなたと共におられます。また、さまざまな事情で、ミサに与ることが出来ずにおられる皆さま、主があなたと共におられます。今は人に会いたくない、と感じておられる皆さま、主があなたと共におられます。
復活とは、主が共にいてくださることです。わたしは、主が一緒の向きでいてくださるのだと理解しています。わたしたち一人ひとりの顔と体の向きで、一緒にいてくださるのだと理解しています。でも、一緒にいてくださるだけでは足りません。わたしたちも共にいてくださる主と、一緒の向きで生きなければならないのだと思います。主の復活という出来事は、そのことを教えてくださっていると思います。
教会は「主の復活」という出来事を、毎週毎週お祝いしています。日曜日のことを「主日」と呼ぶのは、その日が「主の復活の日」だからです。主日とは、言わば「小復活祭」。つまりわたしたち教会は、日曜日毎に主の復活のお祝いをしているということです。その中で、年に一度、最も盛大に祝われるのがこの復活祭です。復活祭は典礼暦年の頂点です。そして教会はそれを「聖なる過越の三日間」を通して祝います。三日間で一つの典礼と言ってもよいのです。そしてそれこそが、毎週日曜日に祝われることの根源的な内容です。
聖木曜日は「主の晩餐」の記念です。主イエスは引き渡される夜、パンを取り、感謝を捧げてそれを割き、弟子たちに与えて、「取って食べなさい。これはわたしの体である」と言われました。そして、「このことを記念して行いなさい」と言われました。明日は死ななければならないことを知っておられたイエスさまは、ご自分が死を通して、もっと弟子たちと深く結ばれるいのちとなることをご存じだったのだと思います。この世で共にいる時よりも、「もっと深く」「もっといつも」「もっと一人ひとりと」共にいるいのちになっていくことを知っておられたイエスさまは、復活後の日々、弟子たちをそのことに絶えず出会わせるために、この記念を残されたのだと思います。聖体を受ける者は、司祭が「キリストのおん体」と言う度に、キリストご自身から、こう言われているのだと思います。「これは、わたしの体。わたしは食べられてあなたと一緒の向きで生きるいのちとなる。あなたはわたしを食べて、わたしと一緒の向きで生きるいのちとなる。いいかい?」そう、キリストご自身から問われているのだと思います。そしてわたしたちは、「はい(アーメン)」と答えて、キリストとの交わりをいただくのだと思います。
聖金曜日は「主の受難」の記念です。イエスさまは十字架の上で祈られました。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(ルカ23・34)そう祈られました。「自分が何をしているのか知らない」とは、彼らが、「自分たちの内に、神が共にいてくださることを」知らない、「自分たちが、神がお住まいになられる神殿であることを」知らない、ということだと思います。しかしイエスさまはご存じでした。ご自分を十字架につけた彼らの中にも、神が共におられ、神の似姿が刻まれていることを。そしてイエスさまは彼らだけでなく、「すべての人間の内に共にいてくださる神の真実」を見、その真実に結ばれて、十字架の上で死なれました。そして三日目に、「すべての人間の内に共にいてくださる神の真実」に結ばれて復活されたのです。「人間の中に神のいのちを見出す眼差し」は、死によっても決して滅びることがないことを証ししてくださったのです。
聖土曜日。墓に葬られたイエスを象徴する、一日の沈黙を経て、日没後に、全世界の教会は「復活徹夜祭」をお祝いいたします。復活とは、「人間の中に神のいのちを見出す眼差し」が、死を超えてわたしたち一人ひとりの中に立ち上がることです。これが毎週日曜日に祝われる祝いの根源的な内容です。
ご復活おめでとうございます。心からお喜び申し上げます。復活されたキリストは、今日わたしたちと共にいてくださいます。わたしは一緒の向きで共にいてくださるのだと理解しています。しかし、一緒にいてくださるだけでは足りません。わたしたちも共にいてくださる主と、一緒の向きで生きなければならないのだと思います。イエスさまは、自分を十字架にかける者の中にも、「神が共におられる真実」(インマヌエル)を見たのです。だから、わたしたちも共におられるその眼差しと共に、出会う人の内に「神が共におられる真実」を見なければならないと思います。自分が好きになれない人の中にも、理解できない人の中にも、神さまが共におられることを認め、「神さまがあなたと共におられます」と祈ること、これが、一緒の向きでいてくださるお方と、「一緒に生きる」ことだと思います。
「がんばり過ぎないように」といろいろなところで言われる昨今ですが、祈ることにおいては、みなさま、お互いがんばりましょう。
