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教会誌「こころ」巻頭言
Kokoro
2015年 2月 1日(日曜日)

「長崎の信徒発見」-キリシタンの復活

教会誌「こころ」2015年2月号より

 

主任司祭 パウロ三木 稲川圭三

 

2月5日は「日本二十六聖人殉教者の祝日」です。豊臣秀吉の命令によって、二十六聖人は、1597年2月5日、長崎の西坂の丘で十字架に磔にされ、処刑されました。後の1862年に、教皇ピオ9世によって列聖され、日本の聖人の初穂となりました。わたしの出身教会の本所教会は、日本二十六聖人に捧げられた教会であり、また、わたし自身もパウロ三木という洗礼名をいただいていますので、この日を特別に大切に思っております。

ところで、今年は長崎の信徒発見150年という記念の年です。この信徒発見という出来事は大浦天主堂(日本二十六聖人教会)の献堂がきっかけとなって起こりました。豊臣秀吉の禁教令以来、二百五十余年、七世代に及ぶ長きにわたって続いていたキリスト教弾圧の迫害下において、人々は、神父も宣教師もいない中で、信仰を保ち続けたのです。このことは、世界宗教史の奇跡とさえ言われ、当時のヨーロッパの教会に大きな驚きと感動をもたらしました。この記念の年にあたり、信徒発見という出来事を、まず確認しておきましょう。

江戸時代末期の1858年に日本は、米・英・露・蘭・仏と修好通商条約を結び、その結果、宣教師の上陸が許され、居留地に居留外国人のために教会を建てることが許されるようになりました。それで1865年にパリ外国宣教会の手によって大浦に天主堂が建てられ、2月19日に献堂式が行なわれたのです。正式名称は「日本二十六聖人教会」でしたが、当時の人々は「フランス寺」と呼んでいました。「フランス寺にサンタ・マリア様がおいでなさる」という噂は口から口へささやかれて、村中の人々の心をどよめかせました。「サンタ・マリア様がいらっしゃるなら、そこの異人さんは、パーデレ(神父)様に相違ない」・・・人々はそう思いました。人々がそのように思ったのには理由があります。彼らは自分たちの遠い先祖の「バスチャンの予言」という言い伝えをしっかりと保っていたからです。バスチャンというのは迫害の始まりの時期にジワン神父の弟子となって働いた日本人伝道師で、聖セバスチャンの洗礼名を持っていたことからこう呼ばれていました。バスチャンは3年3カ月の間、長崎桜町の牢に囚われの身となり、78回の拷問を受けた後に斬首されたという殉教者です。

その予言というのは「七代の孫のころに、パーパ(ローマ教皇)様から遣わされたパーデレ(神父)様が、サンタ・マリアのしるしがついた帆をあげて、長崎へ入ってくる。それからはその教えを信じてもよいように、規則が変わる」というものでした。そして、その予言には「パーデレは、パーパ様から遣わされ、一生独身でとおし、サンタ・マリア様を敬うお方である」という注意がついていたのです。それで人々は、「その異人さんはパーデレ様に違いない」と思ったのです。その時、「フランス寺に行って、パーデレ様に会いたい」と口に出して主張したのは産婆のイサベリナ杉本ゆり(52歳)でした。けれども、「もしフランス寺の異人さんが、パーデレ様でなかったら・・・、厳しい監視の目が光っているのに、怪しまれることでもあれば・・・」、という懸念から、老人たちは慎重に様子を見ようと言いました。しかし、ゆりはどうしても行くと言い、「サンタ・マリア様がおいでなら、バーデレ様に違いない。パーデレ様に会えたら、殺されてもよい」と言って聞きませんでした。それで、内心パーデレを待ち焦がれていた老人たちも、ゆりに同意したのです。しかし、口数も少なく物静かなゆりだけをやるのが心もとなかったので、活発で気の強い妹のクララてる(49歳)をつけてやることにしました。するとてるの夫多十も、ゆりの娘婿幸太郎も行くと言い出し、子どもたちも従い、一行は老幼男女12人~15人程になったと言われています。

1865年3月17日の昼下がり、一行はフランス寺の玄関に着きました。フランス式の扉の開け方がわからず、がちゃがちゃさせているのを、パリ外国宣教会のプチジャン神父様が見つけて、開けてくださると、一行は参観人を装い、散り散りになって堂内に入っていきました。プチジャン神父様は祭壇の前で跪いて祈っていました。するとそこに三人の婦人が近づき、その一人のゆりが神父の耳元にささやいたのです。

「ワレラノムネ アナタノムネトオナジ」

それは、「わたしたち(浦上の者)は、皆あなたと同じ心でございます」という意味でした。驚きと喜びの内に立ち上がろうとしたプチジャン神父に、婦人たちはたたみかけるように尋ねました。

「サンタ・マリアのご像はどこ」

神父が聖母子像の前に案内すると、聖堂内に散っていた人たちも集まって来ました。

「ほんとにサンタ・マリアさまだよ。御子ゼズスさまを抱いていらっしゃる」

そして、神父に言いました。

「わたしたちは今、カナシミ節を守っています。あなたも守りますか」

カナシミ節とは四旬節のこと。長い間迫害下に潜伏し、一人の神父もいないのにキリシタンたちは断食と祈りの掟を守り続けていたのです。那覇で2年間日本語を勉強してきた神父には、彼らの言葉も、またキリシタンたることの心も理解しました。そして「自分たちもカナシミ節を守っている」と答えたのです。(『日本キリシタン殉教史』片岡弥吉著より)

これが「信徒発見」と呼ばれる出来事です。でも、本当に驚くべきことは「この日一日の出来事」ではなく、長い迫害下にあって、信仰をもって生きるいのちが、七世代にも渡って継承されたという、その出来事のすべての内にあります。そして今、わたしたちはこの出来事から多くのことを学ぶことができると思います。

信仰とは、共におられる永遠の神に信頼をおいて生きることです。現在わたしたちは、信教の自由が保証された時代を生きています。キリストを信じる信仰を告白することによって捕縛され、命を奪われることはありません。しかし、物質中心の価値観の蔓延する中、神ではなく、造られたもの、滅びあるものにより頼んで生きるようにと、絶え間ない誘惑を受けています。そして、その誘惑は強力であり、また狡猾です。わたしたちがこの世の物質的なものではなく、永遠の神のいのちに信頼して生きるよう、継続的な殉教に等しいいのちを、喜びを持って生きることができるよう、聖母マリアの助けを願いたいと思います。

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