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教会誌「こころ」巻頭言
Kokoro
2020年 2月 2日(日曜日)

雪が降らない

教会誌「こころ」2020年2月号より
主任司祭 ルカ 江部純一

世界気象機関は、2019年の世界の平均気温が観測史上、二番目に高かったと発表し、また温室効果ガスも過去最悪の多さになり、今後も平均気温はさらに上がり続ける見通しだという。

山も里も雪がない。新潟県内では雪深い地域でも平年の1~2割、平地では1/10以下、全く積雪がない。各地でも同様で記録的な暖冬である。越後塩沢の人、鈴木牧之(すずきぼくし)の『北越雪譜』は、雪深い魚沼の雪をテーマとし、この地域の風俗習慣・地理的な風物を記した著書である。「・・・初雪の積りたるをそのまゝにおけば、再び下る雪を添へて一丈にあまる事もあれば、一度降れば一度掃(はら)ふ。是を里言に雪堀といふ。土を掘るがごとくするゆゑに斯くいふ也。(中略)小家の貧しきは掘夫(ほりて)をやとふべき費(ついえ)あれば(=出費になるので、の意)男女をいはず一家雪をほる。吾里にかぎらず雪ふかき処は皆然りなり。此雪いくばくの力をつひやし、いくばくの銭を費し、終日ほりたる跡へその夜大雪降り、夜明けて見れば元のごとし。かかゝる時は主人はさら也、下人(しもべ)も頭を低て嘆息(ためいき)をつくのみ也。大抵雪ふるごとに掘ゆゑに、里言に一番堀二番堀といふ。」雪堀である。雪深い地に住む人々の苦労が偲ばれる。

同じ魚沼地方のガソリンスタンドのおばちゃんが「この地方に生まれ育った者として、大雪は困るが普通に降ってくれなければ米や水に影響が出る。雪(の処理)にかける労力は大変だが、それも当たり前のこと…」というようなことを話していたことを思い出した。

写真は(たぶん)昭和36年当時の大雪の様子である。二年後の昭和38年は名高い三八豪雪の年で、この時のことはよく覚えている。雪を下ろした狭い路地は人が一人通れるだけで、二階から出入りできた。一階はしばらく真っ暗だった。・・・・雪が融け土が見えてきたときのうれしさは格別であった。

大雪・豪雪は生活に甚大な被害や影響を与える。しかし通常の冬・降雪の中で雪国の人たちは工夫し、労苦に耐えながら自然とともに生きてきた。山林は水を蓄え、雪融け水は農作業や酒造りや産業に役立ってきた。いまその体系が大きく崩れつつある。おおきな危機である。

年末に「毎日新聞」で取り上げられた記事=オリンピックで奪われた森林、インドネシアやマレーシアの熱帯材が現地の自然を破壊した=を読んで、悲しいとも怒りともいえない気持ちにさせられた。日常生活において、どんな物がどんな地域からどんな方法でもたらされているのか、もっと関心を寄せ続けなければならない。日本で世界で起こっている出来事、そこに生活している人たちの苦悩をまだまだ知らない自分がいる。それをなんとか知らせようとして、ジャーナリストは危険地帯に入って行く。中村哲さんのような医師が潅漑設備を整備し、現地の人たちの医療だけでない分野で活動している。人間らしく生きることが地域の安定と平和へとつながっていく。これらの活動を少しでも知り、見守っていくこともキリスト者の大切な使命である。

「すべてのいのちを守るため」というフランシスコ教皇訪日のテーマは、教皇の新年「世界平和の日」メッセージにもはっきりと述べられている。

「『わたしたちが自らの行動規範を誤って解釈し、自然の濫用を正当化したり、被造界に対して横暴に振る舞ったり、戦争や不正や暴力行為に手を染めたりすることがあったのであれば、わたしたち信仰者が認めるべきは、それによってわたしたちは、自分たちが守り保つよう招かれた知恵の宝に不忠実だったということです』(「ラウダート・シ」)。わたしたちは、他者への敵意、共通の家への敬意の欠如、天然資源の濫用--地域社会や共通善、自然界にまったく配慮せずに、資源を目先の利益の手だてとしかみなしていません--の結果に直面しており、エコロジカルな回心が必要です。」

「わたしたちが訴えているエコロジカルな回心は、地球を与えてくださり、喜びと節度をもってそれを分かち合うよう繰り返し呼びかけておられる、創造主の惜しみのなさについて考えることを通して、新たなまなざしでいのちを見つめるよう、私たちを導いてくれます。この回心は、わたしたちと兄弟姉妹との関係、他の生物との関係、ありとあらゆる被造物との関係、すべてのいのちの源である創造主との関係の変質として、完全なかたちで理解されなければなりません。キリスト者は、『イエス・キリストとの出会いがもたらすものを周りの世界とのかかわりの中であかし』(「ラウダート・シ」)するよう求められているのです。」

わたしは雪が好きである。子どものように、雪が降るとうれしい。大雪で様々な機能がマヒしてしまうのは困るが、自然の恵みに対して感謝しながら、自然とともに生きてきた、これからも生きていく人間のひとりとして、改めて思いを巡らしているのである。

「雨も雪も、ひとたび天から降れば むなしく天に戻ることはない。 それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ 種蒔く人には種を与え 食べる人には糧を与える。そのように、わたしの口から出るわたしの言葉も むなしくは、わたしのもとに戻らない。それはわたしの望むことを成し遂げ わたしが与えた使命を必ず果たす。」(イザヤ55・10-11)

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