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教会誌「こころ」巻頭言
Kokoro
2020年 7月 5日(日曜日)

コロナ禍のなかにあって

教会誌「こころ」2020年7月号より
主任司祭 ルカ 江部純一

毎日新聞夕刊のコラムを読んでいて少し気づかされることがあった。一つは毎日新聞記者小国綾子さんの「美しい人と人との力を」である(毎日新聞6月16日付夕刊)。小国さんは、詩人茨木のり子さんの「六月」という詩の、特に第三連で描かれていることばに力を得たようだ。

「どこかに美しい人と人との力はないか 同じ時代をともに生きる したしさとおかしさとそうして怒りが 鋭い力となって たちあらわれる」
(茨木のり子「六月」第三連)

この詩の「したしさ」と「おかしさ」と「怒り」とが、今の時代(状況)に生きるに必要なことが詰まっていると小国さんは述べる。公衆衛生と個人のどちらを優先させるのかというせめぎ合いや社会の同調圧力。家庭や仕事における事情の違い。自分らしく生きるために何を優先させるか。などいろいろと考えて過ごされたようだ。そして先の詩の三つのことばにこれからを歩む力を見いだしている。

「自分と異なる行動を取る相手にどれくらい想像力を働かせられただろうと、この数カ月間を振り返る。「濃厚接触」自制しつつ生きる、これからの「新しい生活様式」では、なおさらに、他者への「したしさ」を胸に抱きたい。次に「おかしさ」。第2波を迎えても、ユーモアを受容し合える心の余裕は自分で守りたい。最後に「怒り」。コロナ禍はたくさんの社会問題をあぶりだした。ステイホームと言われても家のない人。家庭内暴力や虐待も増えた。「非常時だから」という言葉に流されず、社会の不条理には「怒り」を持ちたい。それを「鋭い力」としたい。」

もう一つは生物学者の福岡伸一さんのインタヴュー記事である(毎日新聞6月15日付夕刊)。福岡さんの説明部分を以下に引用する。

「ウイルスは元々、私たち高等生物のゲノムの一部でした。それが外へ飛び出したものです。新型コロナウイルスはおまんじゅうのような球形をしていますが、皮に当たる部分は人間の細胞膜でできているのです。」

「ウイルスに打ち勝ったり、消去したりすることはできません。それは無益な闘いです。長い進化の過程で、遺伝する情報は親から子へ垂直方向にしか伝わらないが、ウイルスは遺伝子を水平に運ぶという有用性があるからこそ、今も存在している。その中のごく一部が病気をもたらすわけで、長い目で見ると、人間に免疫を与えてきました。ウイルスとは共に進化し合う関係にあるのです。」

「この世界では環境変化や天変地異が絶えず起こり、未体験の病原体も繰り返しやってくる。種の中に多様性があれば、感染してしまう固体がいる一方で、逃げ延びる固体もいる。進化は決して強いものが生き残るのではなく、多様性を内包する種が生き残ってきたのです。」

「最も身近にある自然とは、自分自身の生命だということを再認識する必要があります。人間は自身の生命を所有し、管理し、効率化して、いつまでも変わらず生きていけると思い込んでいます。しかし、生命は本来的に制御できず、明日どうなるのかも分からない。新型コロナ禍が教えてくれたことです。コントロールできないことを謙虚さや諦観を持って受け入れることが、本来の自然を大切にするということにつながります。」

「生命の多様性は、雄と雌という二つの性があって、それぞれが違う遺伝子を持ち寄り、次の世代をつくろうと混ぜ合わせることで生まれる。誤解してほしくないのは、子供を持たないこともまた多様性の内側にあるということ。『産めよ増やせよ』という遺伝子の指令に背く自由に気づいた最初の生命体がホモサピエンス(現生人類)であり、そのことが人間を人間たらしてめている。一人一人の生命が生産性にかかわらず価値を持つ、というのが人権の基盤です。」

四カ月弱のミサ非公開の間にあって、多少の余裕と時間はあったがしかし何かまとまった働きや仕事ができたかというと、実はできなかった(私の場合)。それがこのコロナ禍における社会を覆っている状況であろうと思う。それでも一冊、興味ある本を読んだ。D・アレクサンダー著『創造か進化か--我々は選択しなければならないのか?』(ヨベル 2020年)。キリスト者であり神学者でもあり、分子生物学者である著者の本である。生物学の分野における議論、遺伝子やDNAといった部分に関しては、私は全く歯が立たなかったが、進化とは進化というよりは、生物多様性のプロセスであるということ。また聖書や教会が伝えてきたことと矛盾するものではないこと。むしろ進化論に関する従来の誤解をそぎ落し、宇宙創造、地球誕生以来の進化が、生命の驚くべきメカニズムを通して、常に働き続けている神の業であることが明らかにされていること。などを知ることができた。このことと先に引用した福岡伸一さんの説明を合わせ考えてみると、今わたしたちが置かれている状況は、わたしたちの生活や生き方そのものを根本的に見直すための大きな挑戦であるように思われる。今まで当たり前のように過ごしてきた、日々毎日の生活、便利さがもたらした不便さ、人に対するやさしさや弱者を追いやる社会、差別、自己中心的な言動、・・・それらをもっともっと改めるよう、もっと想像力を高めるよう促されているのではないかと思えてくるのである。今までの生き方を変えるよう促されている。自分の何を変えることができるのか。煩悶しながら考え続けている。

最後に二つのことばを味わいながら結びとしたい。

主御自身が建ててくださるのでなければ/家を建てる人の労苦はむなしい。
主御自身が守ってくださるのでなければ/町を守る人が目覚めているのもむなしい。
朝早く起き、夜おそく休み/焦慮してパンを食べる人よ/それは、むなしいことで 
はないか/主は愛する者に眠りをお与えになるのだから。(詩編127:1-2)

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