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教会誌「こころ」巻頭言
Kokoro
2013年 12月 1日(日曜日)

東京教会管区司祭研修会に参加して

教会誌「こころ」2013年12月号より

 

主任司祭 パウロ三木 稲川圭三

 

10月28日(月)~30日(水)の三日間で、東京教会管区司祭研修会が行なわれました。これは東京教会管区(札幌、仙台、さいたま、東京、横浜、新潟の6つの教区)の司祭の交流を図って、4年に1度行なわれるものです。今回は東日本大震災の被災地の現状に触れると共に、すこしでも経済的な効果をもたらすことを期待して、被災地での開催となりました。6つの教区から100名近い司祭が集まり、宿泊し、講演会や分科会を行なうことの出来るスペースのある施設を、ということで候補が絞られ、会場は福島県いわき市にある「スパリゾートハワイアンズ」(旧・常磐ハワイアンセンター)になりました。宿泊者には、東京駅からの無料送迎バスがあるということでしたので、わたしは利用することにしました。約3時間の乗車時間に、その週末に予定されている黙想会の準備をしようと思っていましたが、一緒にバスに乗った神父たちと話してしまって駄目でした。

今回のテーマは「希望のうちに『信仰年』を生きる」でした。基調講演として、大学で物理学を教えておられる三田一郎(さんだ いちろう)師(名古屋教区終身助祭)が、「科学と信仰」-科学者の立場から-という演題で話してくださいました。宇宙は137億年前に、「時間」と「空間」の区別のつかない一種の「無」の状態から、忽然と誕生し、爆発的にその膨張を続けている、とする「ビッグバン」理論の話などを、興味深く聞きました。アインシュタイン博士でさえ当初は、「宇宙に始まりがある、などということは馬鹿げている」と考えていたのだと伺いました。わたしは科学的なことに明るくはありませんが、ビッグバン理論の説明を聞きながら、創世記の1章のことを思い浮かべていました。

二日目。基調講演の二人目はサレジオ修道会司祭、阿部仲麻呂(あべ なかまろ)師の「現代の状況、震災、不況、自死、神不在の中での信仰をどう考えるか?」という講演でした。この方は日本カトリック神学院で教義学を教えておられる四十代の若い神学者で、講演に先立ち、何人もの人から「神父さんの名前は、実名ですか、ペンネームですか?」と聞かれた(笑)という話をしておられました。「阿部仲麻呂」は実名。生まれたとき、超未熟児で、医者から、三日間位の命だろうと言われたそうです。それで父親が、三日の命という我が子にしてやれる最高のことは、「最高の名前をつけてやること」だと考え、その名前をつけた、とのことでした。(阿倍仲麻呂:あべのなかまろ、は奈良時代の遣唐留学生。唐朝において「科挙」という超難関試験に合格し、高官に登ったが、帰国を果たせず、唐で亡くなった学者)それが、三日でなく、45歳になる今まで生かしてもらっているのです、と話しておられました。阿部仲麻呂師は、講演の中で度々、「人」を表すのに、「名前を持って生きている人々」「名前をもって呼ばれている人々」「名前を持って苦しんでいる人々」等、という表現を使っておられました。人間とは、名前で呼ばれる存在。仲麻呂師にとって「名前」とはいのちそのもの。そしていのちを望む父の望みそのものでした。そしてその父親を最近亡くされたばかりだという仲麻呂師が「名前を持って生きている人々」・・・という言葉を話される時、その言葉には胸を打つ特別な響きがありました。「名前を呼ぶとは、いのちに呼びかけること」なのだということを教えたお父上ご自身が、仲麻呂師の中に復活しておられるように、わたしには思えました。

二日目の午後は、数台のバスに分乗し、原発事故被害地視察に行きました。バスには、自らも原発事故によって自宅に帰ることができない被災者である、半谷喜代美氏(大熊町職員)さいたま教区サポートステーション「もみの木」代表ホアン神父、NPO福島野菜畑主催者、柳沼千賀子氏が同乗され、原発事故による被害の現状について、解説してくださりながらの視察となりました。立ち入りの制限される「警戒区域」については時間の経過によって少しずつ変化していますが、現在は「帰還困難区域」(5年間帰ることができない。それ以後についても不明)の境目にはバリケードが築かれ、そのエリアに立ち入ることはできません。今回の視察では、そのぎりぎりの場所までバスを進めていただきました。冨岡町、福島第一原発から直線距離で10kmくらいであろうかと思われる場所でした。町全体が、全くの無人で、見渡す限り一面が、人のいない脱け殻のようになっていました。津波の被害を直接うけなかった場所では、建物の外見は普通に見えますが、半谷さんの話では、生活雑貨の腐敗や、ネズミや野生生物の糞尿などで、中には5分といられない状況なのだそうです。ゆっくり走るバスの前を、突然真っ黒なイノシシが横切り、主のいない民家の玄関から、中へと、姿を消していきました。また、津波の被害を受けた常磐線の冨岡駅前は、2年半前の震災の日の被害の、その時のままでした。放射能汚染による避難指示によって何の手も加えられずに、完全に時が止まったかのようでした。解説してくださった半谷さんは、「福島が現在もこのような状況であることを、忘れないでください。また、今日ご覧になったことを、どうか人に伝えてください。またどうぞ、一度ここに来て、見てください」とおっしゃっていました。

三日目には、現在も被災地支援のために具体的に働いておられる5名の方の証言をいただきました。皆さん異口同音に「復興支援活動から見える神のまなざし」について語っておられました。

最後に岡田大司教主司式、平賀仙台教区司教の説教によるミサで閉会となりました。毎週日曜日に、共同祈願で東日本大震災の意向で祈り続けていることの必要を、深く感じさせられた研修会でした。

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