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教会誌「こころ」巻頭言
Kokoro
2013年 12月 24日(火曜日)

クリスマスを始めよう

教会誌「こころ」2014年1月号より

 

主任司祭 パウロ三木 稲川圭三

 

クリスマス・主の御降誕おめでとうございます。わたしは麻布教会に来てから2度目のクリスマスになります。皆さんは今年のクリスマスをどのようにお迎えになっておられますか。ご家族と一緒にお祝いしておられる方、病床で迎えておられる方もあるでしょう。今年、家族が一人増えたという方、また、反対に今年、家族が神さまの元に召されたというお方もおありになるでしょう。皆さまそれぞれに、今年一年のさまざまな出来事を思いながら、祝っておられることと思います。すべての人が一人ひとりの思いの中で、平和の祭典であるクリスマス・主の降誕を嬉しく、温かく、豊かにお祝いすることができますようにと、心から願います。

さて、テレビを見ておりましたら、あるCMの中でこんな言葉が流れていました。

その日が近づくにつれ、ひとつ、またひとつと、心に明かりが灯り始める。
楽しみに思うその時から、もう、クリスマスが始まっています。
『クリスマスを始めよう!』
おいしい笑顔のまん中に、今年も○○のクリスマスケーキ。

「ケーキの宣伝だ」と思いながらも、このCMのコピーを聞いて、待降節のことを思いました。なぜなら、待降節とは英語のAdvent(アドベント)のこと。Adventとは、「到来」の意味です。つまり待降節とは、「救い主、イエスさまが来られる」という、その「到来」の知らせによって、もう既に、時の質がすっかり変わってしまっているという時のことだからです。CMの言葉を借りて言うならば、「救い主、イエスさまが来られる」そのことを楽しみに思うその時から、もうクリスマスが始まっています、ということです。「主が来られる」という「その日」のために、既に、喜び、希望、勇気、忍耐、感謝へと変えられてしまった「時」、それが、わたしたちのアドベント、待降節なのです。

ところで、CMの場合は、クリスマスの喜びの真ん中にあるのはクリスマスケーキです。ケーキを囲んで楽しく飲んだり食べたりする集まりの楽しさがその中心です。しかし、わたしたちの場合、言うまでもなく、喜びの中心は、イエス・キリストの誕生です。イエス・キリストというお方は、すべての人の内に、「神が共にいてくださる」という真実を見てくださった方です。その真実を見ていただいた人は救われました。貧しい人、病気の人、悪霊に取りつかれている人が皆、イエスさまの回りに集まりました。集まった人は皆、イエスさまに見てもらったのです。自分の内に、神さまが共にいてくださるという真実を見ていただいたのです。見ていただいた人は、神が共にいてくださるという新しいいのちに立ち上がりました。その救い主の誕生を祝うのがクリスマスです。

ケーキを食べて祝う? それはいいことだけれども、祝う前に「誕生しなければならない」のです。2000年前に、イエスさまはお生まれになりました。そして、死と復活を通して、今は「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタイ28・20)といういのちとなっておられます。このお方が、わたしたち一人ひとりの内に、「誕生しなければならない」のです。このお方が、わたしたち一人ひとりの内に立つならば、わたしたち一人ひとりの内に「誕生する」ならば、わたしたちは、そのお方と共に、出会う人の内に「共におられる神」を見出し、祈る者になります。その時、その誕生をお祝いしましょう。ケーキを食べてお祝いしましょう。

さあ、クリスマスを始めましょう。そしてみんなでお祝いいたしましょう。

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