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教会誌「こころ」巻頭言
Kokoro
2018年 2月 4日(日曜日)

「1/3日旅」に行って来ました

教会誌「こころ」2018年2月号より

 

主任司祭 パウロ三木 稲川圭三

 

1月15日・月曜日。その日中にしなければならなかった仕事を一通り片づけると、時刻は午後2時。今日は夜まで会議もなく、自由にできる時間がやって来ました。車で「日帰り温泉にでも行こう」と思って、仲間の神父に連絡してみましたが、学生ではあるまいし、当日に、しかもこんな中途半端な時刻に、都合よく「いいよ」という者があるはずもありません。ダメ元でしたのでがっかりもせず、一人で行くことにしました。一人で行くとなると同じ温泉でも行き先は変わって、前々から行ってみたいと思っていた「蒲田温泉」という所に行ってみようと決めました。大田区の街中にある普通の銭湯なのですが、天然温泉で「お湯が真っ黒!」だと言うのです。また、一人で行くのならと、散歩を兼ねて歩いていくことにしました。教会から温泉までの徒歩ルートをパソコンで調べて、簡単な地図をプリントアウト(印刷)し、リュックを背負って出かけました。距離は13kmとあるので、3時間くらいの道の りでしょうか。のんびり行くことにしました。

教会を出たのは午後2時15分。今日は風も春めいて、額や頬に差す日射しも暖かく、絶好の散歩日和でした。ガソリンスタンドまでの坂道をずんずんと降り、さい先のよいスタートです。そこから外苑西通りを左に折れ、ひたすら南に下っていきました。散歩の際の出で立ちはというと、いつもの黒ズボンに黒のカラーシャツ、フリースの上着という黒づくめです。外出時にいつもこの格好なのは、着替えるのが面倒だからという理由が4割。残りは、これを着ていると「神父だとわかるから」という理由です。こどもの頃、街中で神父さんを見かけた時、何か特別に嬉しかった記憶があるのです。それで、もし一人でもそういう人がいるなら、その方がいいかなと思って着ています。

(今日は誰かに会うかな?)と、ちょっと楽しみに思いながら歩きますと、広尾の交差点を過ぎた天現寺の辺りで、小走りのような、スキップのような歩みで近づいてくる、制服姿の小学生たちの一団と出会いました。すれ違いざまに(誰か知ってる子はいるかな?)と思いましたが、どうやらいなかったようです。何か賑やかな、エネルギーのかたまりのようなものが通りすぎて行きました。恵比寿三丁目の交差点を過ぎると、外苑西通りは自然教育園脇を突っ切るトンネルになります。トンネルは歩行者が通れないので、直前を左に折れ、自然教育園を囲む高い万年塀沿いの道を迂回して、時計回りに巻いていきました。目黒通りの近くに来ると右手に、「どんぐり児童遊園」の入り口があります。そこには、冬枯れてベージュ色になった芝生の広場に、子どもを遊ばせに来ていた何組かの親子と、ベビーカーが置かれていました。所々霜柱が融けて、ぬかるんだようになっている芝生の広場を横切って、目黒通りに面した出口に向かうと、その脇に早咲きで有名な「河津桜」が植えられていました。「一輪でも」・・・という思いで、枝全体を見回しましたが、さすがにその時期ではなかったようです。膨らみかけた蕾は萌葱色(もえぎいろ)で、そこにはまだ、桜色の気配はありませんでした。トンネルを迂回して、また外苑西通りに戻ります。ルート的にはひたすらこの大通り沿いに歩けば目的地の蒲田に近づくのですが、それではちょっと面白くないので、一本東寄りの、大通りに平行した路地を選んで歩くようにしました。しかし、プリントアウトした地図は大まかなもので、大通りは記されていても、人が歩く小道ははっきりとは書かれていません。それで、この道でよいだろうと見当をつけて歩き始めても、気がつくと「90度も違った方角に進んでしまっていた」というようなことが「しょっちゅう」でした。その度に軌道修正をくり返しながらの行程だったので、大幅に時間が掛かってしまいました。

さて、歩いているうちに、建物一軒一軒の構えが大きくなってきて、まるでここは外国ではないか、と思うような町並みになって来ました。「う〜ん」と唸って驚いていると、建物の表札に「池田山」という名前が見え始めました。すると、閑静な家並みの突き当たりに、立派な石の門柱とガラスの塀で囲まれた、美術館を思わせるような構えの公園があり、そこに「ねむの木の庭」というガラスの表札が掛かっていました。中に入ってみると、決して広くはない敷地でしたが、そこに樹木や植物がところ狭しと植えられていました。そして、手入れが行き届いているのに感心しておりましたら、ここは美智子皇后のご実家、正田邸の跡地に開設された庭であるとわかりました。皇后さまが、誕生からご成婚までを過ごされたこの地を品川区が譲り受け、公園として整備したものなのだそうです。植えられた植物それぞれに、ゆかりのある歌が記されたプレートが添えられていました。そして歌の書かれたプレートをめくると、その下に、その植物の説明が書かれている、という丁寧な仕組みになっていました。庭の中央には、この庭の名前となった「ねむの木」が植えられており、その下のプレートには、美智子皇后の歌が刻まれていました。

薩摩なる喜入の坂を登り来て 合歓(ねむ)の花見し夏の日想う

ねむの木は6月頃に、満開の薄紅色の花を咲かせるのだそうです。

さて、日はあっと言う間に傾いて、次第に横から照りつけるようになり、手をかざさなければ眩しくて歩くことができないような角度になってきました。閑静な池田山を下ると五反田の駅の雑踏に出ます。ルートから外れて、思いっきり遠回りしてしまいました。しかもまだ全行程の1/3も歩いていません。大通りである第二京浜に出て、早足で歩き、距離を稼ぐことにします。しかし、何といっても大通りよりも、一つ路地に入ったほうが散歩的には楽しいのです。戸越銀座商店街に差しかかった時には、どうしても素通りできず、左に折れて戸越銀座に入ってしまい、また回り道になってしまいました。夕刻の近づいた商店街は歩いているだけで楽しく、早足で通りすぎるのはもったいない風情がありました。しかし戸越銀座を直進する限り、どんどん目的地からは遠ざかります。それで涙を飲んで右折し、南方向に進路を戻しました。

しばらく歩くと、右手に連なる家並みの奥に、こんもりとした森があるように感じられました。右手奥に延びる細い路地を覗いて見ると、十段ばかりの石段があり、おじさんが箒で掃いていました。石段を登っていくと、そこは戸越八幡神社でした。小さな御社でしたが、境内は何か親しみを感じる空間になっていて、近所の子どもたちも遊んでいました。また昨晩、旧正月の「どんど焼き」が行われたのでしょうか、広場の中央に、こんもりと燃え残りの炭が残っていました。心ひかれるものがありましたが、急いでいたので、立ち止まることもなく石畳の参道を出口に向かって歩いていきました。はっとさせられたことは、正面の鳥居から入って来る女性が、鳥居の前で合掌して、一礼して参道に入って来られたことです。更に驚いたのは、下校途中の小学校高学年の女の子が、何人かの友だちと、鳥居の前を走って通りすぎる際に、止まって、手を合わせて「ちょこん」とお辞儀をして、また走って通り過ぎて行ったということです。この場所が近所のみなさんにとって、とても近しい場所となっているのだなあと感心させられました。

さて、ここでまだ行程の半分。日はどんどん傾いてきて、馬込銀座から環七に出て、池上通りに出たころには、もう空は真っ暗になっていました。風も冷たくなってきて、あとは大通りをひたすら目的地に向かって歩くのみです。そして、やっと着いたと思った駅は「池上駅」で、地図の読み違いでした。蒲田駅まで歩くと更に40分位かかるので、最後の1区間は、バスに乗ってしまいました。「蒲田温泉」は噂の通り、真っ黒の温泉でした。浴槽に入って5cmも沈むと、もう手が見えない位の黒さなのです。到着に丸々4時間かかって、お風呂に入っていたのは20分位でしたが、本当に楽しい1/3日旅でした。

何の中身もない、雑駁な巻頭言にお付き合いくださり、ありがとうございました。

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