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教会誌「こころ」巻頭言
Kokoro
2016年 12月 25日(日曜日)

クリスマスのプレゼント

教会誌「こころ」2017年1月号より

 

主任司祭 パウロ三木 稲川圭三

 

もう小学校に上がっていたのか、あるいはその前であったのか、よく覚えていないのですが、ある年の12月25日の朝、わたくしの枕元に紙袋に入った絵本が置いてありました。サンタクロースからのプレゼントでした。午後になってから、近所に住んでいた従兄弟のタカちゃんに、「サンタクロース来た?」と聞くと、「来ないよ」と言っていました。急いで家に帰って、母に「タカちゃんのところには、サンタクロースが来なかったって言ってた」と言うと、母は「圭三がいい子だったからじゃないの?」と言いました。子ども心に(じゃあ、タカちゃんはいい子じゃなかったのかな?そんなことないのになあ。どうしてかなあ、おかしいなあ)と思った記憶があります。50年以上前のことです。

子どもにプレゼントを運んでくれるサンタクロースは、今や全世界にいますが、そのルーツとなったのは、聖ニコラオ司教です。実在の人物です。この方は270年に小アジア(今のトルコ)に生まれました。財産家の信心深い両親に育てられて、知恵にも善徳にもすぐれたお方であったようです。両親の死後、莫大な遺産を相続した情け深いニコラオは、それを貧しい人にあげようと決心しました。近所に貧しい靴屋が住んでいて、三人の美しい娘がいました。父は貧乏なので、嫁入りの支度金がどうしてもできず、娘たちを売り飛ばしてしまおうと考えました。ニコラオはこれを知って、気の毒に思い、一人の嫁入りに必要なお金を布ぎれに包み、それを靴屋の二階の窓の中にポンと投げ入れたのだそうです。靴屋一家は、このお金は天のお恵みだといって神に感謝し、長女の結婚を滞りなく済ませました。しばらくして、ニコラオはまた、次女の嫁入り金を同じように投げ入れてやりました。靴屋の主人は、この名も知れぬ恩人は誰なのか、ぜひ、知りたいと思うようになりました。そしてニコラオが、三女の嫁入り金を二階に投げ入れた時、靴屋の主人はお金の音に目を覚まし、急いで二階を駆け下りて、闇の中に消えたニコラオに追いつきました。そして、ひれ伏して感謝し、ニコラオの足に接吻しようとしました。その時、ニコラオはそれを押し止め、「このことを人に話さないように」と誓わせたのだそうです。聖ニコラオ司教への崇敬は10世紀以降に広まっていきました。聖人がかつて、お金を窓に投げ入れ、三人の娘を救った伝説がもとになって、聖人の祝日(12月6日)の前夜に、子どもにそっとプレゼントをする習慣ができたのだそうです。宗教改革の頃、プロテスタントの盛んな地方で、この習慣がクリスマスと結びつき、名前も聖ニコラオ司教を、オランダ訛りで「サンタ・クロース」と呼ぶようになったのだということです。(「教会の聖人たち」:池田敏雄著-サンパウロ-より)

今やクリスマスは、子どもたちにとって、プレゼントをもらう日、クリスマスケーキを食べる日になってしまっている可能性があります。でも、決してそうではなく、言うまでもなく、イエス・キリストの誕生のお祝いです。イエス・キリストを送ってくださったことこそ、神さまからの最高のプレゼントです。ところで、神さまはすべての人間に、「ご自分のいのちを注ぐ」という最大のプレゼントを、「既にくださって」います。創世記に「主なる神は、土の塵で人を形づくり、その鼻に命の息を吹き入れられた。人はこうして生きる者となった」(創世記2・7)とあります。土の塵に過ぎない人間に、神さまはご自分のいのちを注がれました。これが神さまからの最大のプレゼントです。それゆえ、すべての人間一人ひとりの内に、神さまがお住まいになっておられ、人間は尊い「神の家」とされているのです。これが神さまからの第一のプレゼントです。しかし、わたしたちにはそのことがよく見えません。

そこで、神さまが送ってくださった、第二のプレゼントがあります。それがイエス・キリストです。イエスさまは「真の神であり、真の人」であるお方です。イエスさまは「インマヌエル」(「神が我々と共におられる」という意味)と呼ばれるお方です。なぜなら、イエスさまを見ると、「ああ、人間の中に神さまが共にいてくださるということは本当だ!」とわかる・・・、そういうお方だからです。また、イエスさまは「人間の中に神さまが共にいてくださる」という真実を、わたしたち一人ひとりの中に、「本当に見てくださる」お方です。それで、イエスさまはインマヌエル(「神が我々と共におられる」)と呼ばれるのです。今やインマヌエルであるイエスさまは、死と復活を通して、洗礼による聖霊の交わりを通して、信じるすべての人と共にいてくださいます。これが第二のプレゼントです。

そして、第三のプレゼントがあります。それは、洗礼を受けて、聖霊の交わりをいただき、一人ひとりの中に、イエスさまが一緒の向きで生きてくださっていることに出会わせられた、キリスト信者一人ひとりが、「神さまが共におられる真実」のしるしとなるということです。そして、出会わせられたならば、今度は、自分の目の前にいる人の中に「神さまが共におられる真実」を見るものとなります。こうして、キリスト信者一人ひとりが、第三のプレゼントとなるのです。

第一のプレゼントをいただいたことを完全に受け取り、感謝した方がイエス・キリストです。そのとき、その方はご自分自身を第二のプレゼントとしてくださいました。第二のプレゼントをいただいて、自分が第一のプレゼントも、第二のプレゼントもいただいたことを受け取り、感謝する者となったのがキリスト者です。そのとき、わたしたちは自分自身を第三のプレゼントとして贈る者となります。クリスマスに色々なものをプレゼントするのは、楽しい習慣ですね。それは良いことだと思います。でも、本当にクリスマスになされるべきことは、第一、第二のプレゼントに感謝し、自分を第三のプレゼントとして贈ることです。すなわち、自分にも人にも、すべての人の内に神さまが共におられることを認め、目の前にいる人にそれを表すことです。具体的には、目の前にいる人に「神さまがあなたと共におられます」と祈ること。神さまがお住まいになっておられる、尊いお方として大切にすること。そう祈って過ごすなら、たとえコーヒー一杯だけのクリスマス会であったとしても、本当のお祝いになると思います。反対に、その祈りとまなざしがないなら、どんなに豪華な食事も、本当のお祝いにはなりません。クリスマスに贈り合うべきものは、お互いの内に神さまが共におられることを認める、愛のまなざしです。

クリスマスおめでとうございます。神さまがあなたと共におられます。皆さんの新しい一年の上に、神さまの豊かな祝福がありますように。

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