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教会誌「こころ」巻頭言
Kokoro
2017年 3月 5日(日曜日)

高山右近よ、わたしたちのために祈ってください。

教会誌「こころ」2017年3月号より

 

主任司祭 パウロ三木 稲川圭三

 

今年2017年の2月7日(火)正午より、大阪市中央区にある大坂城ホールで、ユスト高山右近の列福式ミサが行われました。わたくしは神戸海星女子学院という学校で静修会の指導をするために、翌日には神戸に行かなくてはならず、スケジュールが縛られていましたので、最初から単独行と決めて、列福式への参加を計画していました。

当日朝5時台に教会を出て、7時30分の飛行機で大阪に向かいました。伊丹空港からモノレールや電車、地下鉄を乗り継ぎ、予約していた宿の最寄り駅である「本町」という駅で降りました。宿に大きな荷物を預けて、そこから大坂城ホールに向かいました。日射しはたっぷりとありましたが、からっと乾いて冷たい空気の中を小一時間、大阪の町並みを見ながら新鮮な気持ちで歩きました。大坂城公園に入ると、外濠を渡り、大手門を通り、櫓をくぐって公園の反対側にある大坂城ホールを目指しました。途中、列福式関係の表示もなく、また式に参加するとおぼしき人とも全く出会わなかったので、不思議に思いましたが、わたくしの行き方が、「誰もそんな所から来るものはいない」、というようなアプローチであったようです。例えて言えば、麻布教会で式典があるとして、主催者側は六本木駅から来る人々への対応を整えているのに、わたしは一人、渋谷から歩いてきた、というようなものだったようです。したがってホールへの入場も、裏側の「招待者入り口」のような所から入ってしまい、「招かれざる招待者」はどこへ行ってよいのか分からず、まごまごしてしまい、恥ずかしい思いをしてしまいました。さて、ホールに入るとスタンド席もアリーナ席も、もう既に8割方は、参列者で埋めつくされていました。場内アナウンスでは、「本日1万人分の席は満席。荷物での占用不可」である旨を告げていました。中央アリーナに設けられた祭壇の前を通って、ようやく司式司祭控室に辿り着くと、そこは真っ赤なカズラ(祭服)を身につけた、大勢の司祭たちで溢れていました。今回、列福式に参加した司祭たちには、お揃いの赤のカズラが支給されました。現地での発表では、共同司式司教は30名、共同司式司祭は300名であったということです。東京教区司祭については、わたくしがそちらで見かけた方は、5名程度だったと思います。式開始時刻が近づくと、共同司式司祭は、祭壇後方の前寄りの観客席に移動し、先にそこに着席しました。隣には西千葉教会主任の福島神父さんが座りました。ミサが始まると、共同司式する30名の司教たちが、アリーナ席中央通路を通って祭壇前に進みました。今回の主司式は、教皇フランシスコの代理で、教皇庁列聖省長官である、アンジェロ・アマート枢機卿がなさいました。

2008年11月24日(月)に長崎、ビッグNスタジアムで行われた、「ペトロ岐部と187殉教者」の列福式で主司式をされたのは、故ペトロ白柳誠一枢機卿でした。その日の天候は雨で、野外球場でしたのでおよそ3万人の人が雨合羽を着ての参列となりました。悪天候の中、4時間近くかかった式でしたが、深い慰めに溢れた式でした。式の中で、白柳枢機卿がなさったお説教は、「一世一代」と言ってもよいような、すばらしいものでした。枢機卿様が「恐れるな」と言われた時、雨が上がって、会場に暖かい光が射し込んだのです。多くの人がその時、神さまが「恐れるな」と言ってくださったと思ったのではないかと思います。

2008年に列福式に参加した時には、「もう生きている間に日本で列福式にあずかることはないだろう」と思っていましたが、わずか9年後に、再びこのような幸いをいただくとは思いも寄りませんでした。今回の式は、ドーム内、屋根の下で行われたので、寒さに凍える心配もなく、よい環境の中で行われました。3時間弱の式でしたが、万事よく整って、ある意味で坦々と行われたと感じます。そんな中で、今回参列していて涙が出たのは「高山右近よ、わたしたちのために祈ってください」という言葉でした。最初に、主司式者であるアンジェロ・アマート枢機卿が、説教を「高山右近よ、わたしたちのためにお祈りください」という言葉で結びました。枢機卿のなさった説教の内容は、高山右近 の聖性と信仰を、丁寧に説明し、それに倣うようわたしたちを励ます、よく整理されたものだったのですが、「高山右近よ、わたしたちのためにお祈りください」と結ばれた時、わたくしの内に感動が起こり、嗚咽が込み上げ、涙が溢れました。ミサの最後、派遣の祝福の前に、日本カトリック司教協議会会長の高見三明長崎大司教も、謝辞を述べた際、「高山右近殿、どうかわたしたちのために祈ってください」と結ばれました。二番目の、前田万葉大阪大司教の謝辞に続いて、イエズス会日本管区長の、梶山義夫神父が感謝の言葉を述べられましたが、その結びの言葉も「高山右近よ、どうかわたしたちのためにお祈りください」でした。その度ごとに、なぜか涙が込み上げました。

今回の列福式に参加しての、わたくしのキーワードは「高山右近よ、わたしたちのために祈ってください」です。どうして涙が出るのだろう、と考えてみました。きっと既に高山右近が、祈ってくださっているからではないかと思います。右近はどのような状況に置かれても、神と人への愛を、ぶれることなく選び続けました。相対的価値観に満ち、信念を貫いて生きることの難しい現代のわたしたちに向かって、既に祈ってくださっているのだと思います。だから、「高山右近よ、どうかわたしたちのために祈ってください」と祈る時、ぶれることなく真理を選び続けた、右近殿がわたしたちの中に立ち上がってくださるのではないかと思います。今回、ユスト高山右近の略歴紹介の中で、聖パウロ三木が、右近の領民、家臣であったことを初めて知りました。右近は家臣の者たちに信仰を勧めました。右近より12歳年下の聖パウロ三木と右近には、一体どのような関わりがあったのでしょうか。右近の生涯についてはたくさん資料があるので、少しずつ調べてみたいと思います。

列福式参加についての雑駁な感想となりました。

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