| 
教会誌「こころ」巻頭言
Kokoro
2017年 4月 16日(日曜日)

主は「みなさん」と共に

教会誌「こころ」2017年4月号より

 

主任司祭 パウロ三木 稲川圭三

 

ご復活おめでとうございます。

主イエス・キリストは復活されました。そして今、わたしたちと一緒にいてくださいます。わたしは、主イエスはわたしたち一人ひとりと一緒の向きで共にいてくださる方なのだと理解しています。復活の主イエスは言われました。

「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタイ 28・20)

主イエスは、漠然と一緒にいてくださるのでなく、共にいて一緒の向きで生きてくださっているのだと思います。そしてわたしたちに絶えず、ご自分と一緒の向きで生きるように呼びかけ、働きかけてくださっているのだと思います。主イエスと一緒に生きるとは、どういうことでしょうか? わたしたちは何をしたらよいのでしょうか? そのためには、まず、一緒にいてくださるイエスさまというお方が、どういうお方であるのかを知る必要があります。イエスさまとは、何をなさった方なのでしょうか? わたしは「人間の中に神さまが共にいてくださるという真実」を見てくださった方だと思います。そして、その真実を人に伝えてくださった方だと思います。そして、わたしたちがその真実を「見ることが出来るように」してくださった方だと思います。

主イエスの復活に最初に出会ったのは、マグダラのマリアという女性でした。この方は「以前イエスに七つの悪霊を追い出していただいた婦人」(マルコ 16・9)であると言われています。イエスさまは、どうやって七つの悪霊を追い出されたのでしょうか? わたしは、イエスさまは、「あなたのこことそこに、悪霊がついている」などとはおっしゃらなかったと思います。イエスさまはマグダラのマリアの中にただ、「神さまが共にいてくださる真実」を見てくださったのだと思います。マグダラのマリアは、自分の存在の一番奥底にあるものは罪であり、悪であると思っていたかもしれません。人に「悪霊にとりつかれた女」だと言われ、自分でも自分のことを 「悪霊の子」だと思っていたかもしれません。しかしイエスさまは、マグダラのマリアの存在の一番奥底に、悪ではなく、「神さまが共にいてくださる真実」があることを見てくださったのだと思います。「あなたは悪霊の子などではないよ。神さまの子なのだよ。あなたの一番奥底にあるのは、神さまが共にいてくださる真実なのだよ」と、イエスさまはマグダラのマリアに告げられたのではないでしょうか。人間の一番奥深くにあるのは、「神さまが共にいてくださる真実」です。たとえ人間の中に、悪や罪という的外れがあっても、それを遙かに超えて、神さまが共にいてくださいます。イエスさまはその真実を見てくださるお方。そしてそのことを人に伝えてくださるお方です。わたしたちがそのことに出会わせていただくとき、悪霊はもう、わたしたちを縛る力を失ってしまうのです。

では、イエスさまは、どうやってわたしたちが、その真実を「見ることが出来るように」してくださったのでしょうか? それは一言で言えば、「その真実を見ることが出来る『ご自身』を、わたしたち一人ひとりの内に住まわせることを通して」と言うことができます。「神さまが共にいてくださるという真実」を見ることができるイエスさまご自身が、わたしたちの内にお住みになり、わたしたちと一緒の向きで生きてくださることを通して、わたしたちを「見えるように」してくださったのです。そしてそのことをイエスさまは、ご自分の十字架の死と復活を通して成し遂げてくださいました。イエスさまの十字架とは何でしょうか。それは人間に罪があっても、その最も奥深くに「神さまが共にいてくださる真実」があることを見る眼差しのことだと思います。イエスさまは十字架の上で祈られました。

「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(ルカ 23・34)

イエスさまは、「彼らは、自分たちの内に 『神さまが共におられるという真実』があることを知らないのです。そのことをお赦しください」と、祈っておられるのだと思います。「彼ら」は知らなくても、「イエスさま」は彼らのうちに「神さまが共におられる真実」があることを知っておられました。それで、彼らの知らないその「真実」を見くださっていたのです。イエスさまは十字架の上で、すべての人の中にある「神さまが共におられる真実」を見ておられたのだと思います。すでに亡くなられた方、そしてまだ生まれていない人の中にも、「神さまが共にいてくださる真実」を見ておられたのだと思います。そして、すべての人間の中にある「神さまが共におられる真実」に結ばれたまま死なれました。それが十字架の死でした。そしてその真実に結ばれて復活されました。復活とは、人間の中に神さまが共にいてくださる真実を見て生きるいのちは、死んでも死なない、ということの証しだと思います。主イエスこそ、まさにそのお方なのです。そして今、復活された主は、聖霊というご自分のいのちをわたしたちに注ぐことを通して、わたしたち一人ひとりと一緒に生きるいのちとなっておられるのです。そしてそのお方がわたしたちを、人間の中に神さまが共におられるという真実を、「見ることが出来るように」してくださったのです。もちろん、わたしたちの肉眼の目には見えません。しかしわたしたちの内に、そのことを見ることが出来るお方が、一緒の向きで生きてくだっています。だからわたしたちは、そのお方と一緒に生きることによって、信仰の目で「人間の中に神さまが共におられる真実」を見るようになります。

「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」

主イエスは、わたしたちと共にいてくださいます。一緒の向きで生きてくだっています。その主イエスと一緒に生きるとは、どういうことでしょうか? わたしたちは何をしたらよいのでしょうか? 一緒に、「人間の中に神さまが共におられる真実」を見たらよいのだとおもいます。その真実を認め、祈ったらよいのだと思います。人に「神さまがあなたと共におられます」と祈ったらよいのだと思います。

ミサの中で何回も「主はみなさんと共に」と挨拶をいたします。そのときわたくしは、そこにおられる一人ひとりのみなさんの内に、神さまが共におられ、一緒の向きで生きてくださっていることを思います。でも、最近は「主はみなさんと共に」と言うとき、その「みなさん」はそこにいるみなさんだけでなく、そこにおられるお一人お一人に関わりのある、すべての霊であるいのちのみなさんに「主はみなさんと共に」と祈るようになりました。「みな、これを取って食べなさい」という時の「みな」も、「全能の神、父と子と聖霊の祝福が、みなさんの上にありますように」という時の「みなさん」も、そこにいるみなさんお一人お一人に関わりのある、すべての霊であるいのちのみなさんに向けて、祈るようになりました。もちろん、目に見えませんが、イエスさまが、十字架の上で、すべての人の内にある、神のいのちに目を向けてくださった、その真実に結ばれて、関わりのあるすべての霊であるいのちのみなさんに、「主はみなさんと共に」とお祈りいたします。

今週のお知らせはこちら 毎週土曜日更新

過去の巻頭言

Archive

お知らせ

Information

ミサの予定

Mass Schedule