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教会誌「こころ」巻頭言
Kokoro
2017年 5月 7日(日曜日)

『春の小川』と『朧月夜』

教会誌「こころ」2017年5月号より

 

主任司祭 パウロ三木 稲川圭三

 

風薫る五月、聖母聖月、マリアさまの月を迎えました。野山は新緑の季節。街中の花屋さんの店先にも、一年中で一番多くの種類の花が出回る時期であると思います。外出するにも気持ちのよい気候となりました。

さて、わたくしは健康のために、普段から一日1時間は歩くようにと心がけております。忙しい時期はなかなかその通りには行かないのですが、なるべく少しでも歩くように努めています。5年前に麻布教会に着任した時に、港区の地図を買ってきて、歩いた道に赤ボールペンで線を引き始めました。広げると新聞紙くらいの大きさになる地図なのですが、もう教会の近辺は殆ど毛細血管のように、真っ赤になってしまいました。それで、歩いたことのない道を歩くために、休日で少し時間がある時などは、1時間ひたすら歩いて、帰りは交通機関で帰ってくる、というような散歩をすることもあります。

以前、代々木公園を目指して散歩した時のこと、代々木公園の西門から、小田急線の参宮橋駅に向かって歩いていた時に、道端に黒い立派な石碑があるのに気づきました。顔が映るくらい、つるつるの石碑でしたので、目を凝らしてみると、『春の小川』歌碑であることがわかりました。

「春の小川は さらさら流る
岸のすみれや れんげの花に
にほひめでたく 色うつくしく
咲けよ咲けよと ささやく如く」
作詞 高野辰之 作曲 岡野貞一

隣に立てられていた説明板によると、ここにはかつて清らかな小川が流れ、黄色のかわいらしい“こうほね”が咲いていたので、河骨(こうほね)川と呼ばれていたのだそうです。春になると、岸辺にはれんげやすみれが咲く、のどかな所だったようです。作詩者で国文学者の高野辰之氏は、すぐ近くにお住まいで、このあたりの風景を愛して、しばしばその川の畔を散策されたのだそうです。その情景から生まれた詩が、『春の小川』として発表されたのは、大正元年の1912年のことであったということです。現在、歌碑が立っているあたりには、残念ながらその面影は全くありません。目の前に見えるのは小田急線の線路で、時折、まさに鼻先と言ってよい距離の所を電車が通り過ぎていきます。河骨川はと言えば、高度経済成長時代、東京オリンピック直前の昭和39年に暗渠(あんきょ)になったということです。線路沿いに緩やかにくねりながら延びている細い道が、きっと河骨川の名残なのだろうと思いながら、その上を駅に向かって歩きました。

ところで、『春の小川』ですが、(わたしが小学校で習った歌詞とは違うぞ)と思って調べましたら、戦中と戦後の二度、1942年と1947年に歌詞が変更されていることがわかりました。わたしが習ったのは47年版でした。

「春の小川は、さらさら行くよ
岸のすみれや れんげの花に
すがたやさしく 色うつくしく
咲けよ咲けよと ささやきながら」

皆さんはどちらの歌詞でご記憶でしょうか。あるいは、これともまた少し違う、42年版の歌詞であるかも知れません。

さて、子どもの頃は歌を歌う時、歌詞のことなどそんなに深く考えませんでした。歌詞の中に出てくる名詞や動詞を単発的に思い浮かべて、ずいぶん自分勝手なイメージで歌っていたということもありました。皆さんもそんな経験はありませんか。しかし、聖書を読むようになって、その言葉が何を表そうとしているのか、どんな出来事を伝えようとしているのか、深く読むようになってからは、歌の「歌詞」が何を伝えようとしているのか、その全体をよく考えるようになりました。

小学校の教員をしていた頃、市の研修会で宮入黎子さんという方の話を聞く機会がありました。「家庭の主婦で、学校の教員で、詩人」という方で、教科書にも作品が載っているような著名な方でしたが、ごく普通の「お母さん」という感じの、親しみのある方でした。30年以上前のことなのですが、その方がおっしゃったことで、深い印象と共に記憶に残っている言葉があります。それは、「対象の中にいのちを見出した時に、『詩』が生まれる」というものでした。わたしは詩心というようなものが全くない者だったので、その言葉が、「詩」というものが何であるのかを、端的に教えてくれたのだと思います。「対象にいのちを見出す時、『詩』が生まれる」・・・そうなんだ、と何かが腑に落ちたのを覚えています。

高野辰之さんは、春の小川を愛して、その中にいのちを見出されたのだな。そしてそのいのちは、岸のすみれや、れんげの花に、「姿やさしく、色うつくしく、咲くのだよ」と、ささやきながら、呼びかけながら流れていく、優しいいのちなのだと、そう出会われて、そしてこの詩が生まれたのだな・・・。奥行きの全くない陳腐な表現でしか言い表せないことが心苦しいのですが、今は、そんな風に思うようになりました。

ところで、高野辰之さんは作曲家の岡野貞一さんとのコンビで、文部省唱歌のたくさんの名曲を作っておられます。皆さんよくご存知の『朧月夜』もその一つです。わたくしは大好きな曲なので、あらためて歌詞を紹介させていただきました。

1.
菜の花畠に 入日薄れ
見わたす山の端 霞ふかし
春風そよふく 空を見れば
夕月かかりて にほひ淡し

2.
里わの火影も 森の色も
田中の小路を たどる人も
蛙(かはづ)のなくねも かねの音も 
さながら霞める 朧月夜
 
まるで一幅の絵を見るかのような情景描写ですが、高野辰之さんは、この情景の中に言い表しがたいいのちを見出しておられたのに違いありません。長野県下水内郡(現在の中野市)のご出身なので、なつかしい故郷の、里山の風景が歌われているのでしょう。

わたくしはこの曲が本当に好きです。歌詞を思い巡らすと、胸がじーんと熱くなります。天地万物をお創りになった父が、創られたすべてのものを通して、ささやき、優しく呼びかけておられます。「人間のいのちは、永遠なのだよ。永遠に生きるために、今日一日と、この夕べが与えられているのだよ。人も自然も、皆、永遠の中にあるのだよ」・・・そう、優しく呼びかけておられるのだと思うのです。

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